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東京地方裁判所 昭和37年(ヨ)2154号 判決

申請人 関公也 外七名

被申請人 財団法人厚生団

主文

1  申請人外川、同小野瀬、同青木、同隈本、同吉岡、同高橋が被申請人に対し雇用契約上の権利を有する地位を仮に定める。

2  被申請人は、申請人高橋に対し昭和三七年四月以降、同外川、同小野瀬、同青木、同隈本、同吉岡に対し同年五月以降、毎月一六日限り別表賃金月額欄記載の各金員を支払え。

3  申請人関、同岸の申請を却下する。

4  申請費用中、申請人関、同岸と被申請人との間に生じた分は申請人関、同岸の負担とし、その余は被申請人の負担とする。

(注、無保証)

事実

第一、申請の趣旨

1  申請人らが被申請人に対し雇用契約上の権利を有する地位を仮に定める。

2  被申請人は、申請人高橋に対し昭和三七年四月以降、その余の申請人らに対し同年五月以降、毎月一六日限り別表「賃金月額」欄記載の金員を支払え。

3  申請費用は、被申請人の負担とする。

第二、申請の理由

一、被申請人(以下「団」という。)は、肩書地に事務所(本部)を置き、厚生年金保険法、船員保険法及び労働者災害補償保険法の適用を受ける労働者の福祉増進のため必要な施設を設け右各保険事業の円満な遂行・発展を図ることを目的とする財団法人であつて、政府の委託により、政府が厚生年金保険法七九条に基いて設置した東京厚生年金病院(東京都新宿区津久土町二三番地所在、以下「院」または「東京病院」という。)、大阪厚生年金病院(以下「大阪病院」という。)及び九州厚生年金病院(以下「九州病院」という。)等の施設の経営にあたつている。

二、申請人らは、いずれも団に期間の定めなく雇傭され、院に勤務してきた者であつて、その採用時期、勤務場所(吉岡についてはなお後記四(二)3(3))、職種、本件解雇前三ケ月の平均賃金月額は別表記載のとおりである。

三、(一) 申請人らの所属する東京厚生年金病院労働組合(以下「組合」又は「東京労組」という。)は、昭和三四年四月二七日院の従業員の大多数をもつて結成され、昭和三五年六月以降大阪病院、九州病院の各従業員の組織する労働組合(以下それぞれ「大阪労組」・「九州労組」という。)とともに厚生年金病院労働組合協議会(以下「三協」という。)を構成し、昭和三七年三月当時の組合員数は二三七名である。

(二)1 申請人らは、昭和三六年一〇月本件争議(後記四(二))開始以降本件解雇(後記五)に至るまで引続き別表掲記のとおり組合役員として指導的地位にあつた。

2 申請人らの組合における経歴は、次のとおりである。

(1)  申請人関は、組合結成に準備委員として参画し、当初文化部担当執行委員、昭和三四年七月以降執行委員長の地位にある。

(2)  申請人外川は、組合結成準備に参加し、昭和三五年四月以降斗争委員、同年七月以降組織部担当執行委員、昭和三六年九月以降別表の地位にある。

(3)  申請人小野瀬は、昭和三五年四月以降斗争委員、同年七月以降執行委員・調査部長、昭和三六年九月以降別表の地位にある。

(4)  申請人岸は、昭和三五年四月以降斗争委員、同年七月以降別表の地位にある。

(5)  申請人青木は、昭和三六年四月以降斗争委員、同年九月以降別表の地位にある。

(6)  申請人隈本は、組合結成に際し準備委員長、結成当初書記長、昭和三五年七月以降副執行委員長、昭和三六年九月以降別表の地位にある。

(7)  申請人吉岡は、昭和三五年四月以降斗争委員、同年七月以降共斗部担当執行委員、昭和三六年九月以降別表の地位にある。

(8)  申請人高橋は、昭和三七年三月一五日組合臨時大会の際組合に加入し組織部員として活溌な活動(ビラ貼り、同月一九日の職場大会で団本部職員課長川原、院事務局長星野覚の面前で、小型マイクを用い職制が組合員のまわりをうろつきながら写真をとることに対し抗議演説、同月二四日のストライキには正面玄関のピケ隊の最前列に加わり、ピケ直後の正面玄関における集会を司会)を行い、同月二六日執行委員会において全員一致で別表の地位に選ばれた。(団側は、同申請人の右記のような活溌な活動を逐一知悉していた。)

四、本件解雇に至るまでの労使関係の概要

(一)  組合は、結成以来昭和三六年夏までの間に次のような要求事項について団側との団体交渉(以下「団交」という。)やストライキ等の争議行為を行つた。

昭和三四年―夏季一時金、年末一時金、その他

昭和三五年―看護婦全寮制廃止、賃上げ、夏季一時金、年末一時金、その他

昭和三六年夏まで―新給与体系、夏季一時金、その他

(二)  (本件争議)(以下、昭和三六年一〇月から翌年四月までの間については、年次の記載を省くことがある。)

1 三協は、団に対し〈1〉一〇月一六日諸手当(住宅手当、扶養手当等六項目)、〈2〉一一月一〇日年末一時金(基準賃金三・二ケ月分プラス一律八、〇〇〇円)、〈3〉同月二五日賃上げ(二月以降一律五、〇〇〇円)の各要求(以下それぞれ「〈1〉、〈2〉、〈3〉の要求」という。)を提出した。団は、〈1〉の要求は終始これを拒否し、〈2〉の要求については一二月一六日協定書に調印し、〈3〉の要求については、一二月一日拒否を回答、一月一二日対案として新俸給表案を提示し、同月二六日以降団交を重ねたが、両者の主張は全く対立して交渉は難航した。

その間組合は、一二月九日、一三日、一六日に各半日ストライキを実施した。

2 団は、病院業務の秩序保持とその円滑な遂行を期するためとして、東京、大阪、九州各病院長に対し、就業規則(昭和二八年一二月作成実施)の一部改訂(三月一日以降実施)と「労使関係に関する病院管理心得」(以下「心得」という。)の制定実施の旨を示達するとともに、二月一五日組合側及び全従業員に対し右就業規則改訂案及び心得(写)を配布して、組合に対し同月末日までに右就業規則改訂に対する意見を文書で提出するよう求めた。

組合側は、同月二二日、二七日団側に対し右就業規則の改訂及び心得の制定については組合と団交を尽くし、とくに、組合活動に関する点は労働協約によるべき旨を要求したが、団は右要求を拒否した上、就業規則改訂につき組合の意見聴取の手続を了したが意見の提出がないとして、三月一日所轄労働基準監督署に原案どおり届出をして同日以降改訂就業規則を実施した。

3(1) 院事務局医事課(三月初当時職員二一名中組合員一九名)においては、従前労働基準法三六条の協定(以下「三六協定」という。)がないのに拘らず、毎月末頃から翌月一〇日頃まで、社会保険診療報酬請求書(以下「請求書」という。)の作成のため午後五時三〇分から午後八時までの時間外勤務を行うのを常とした。

(2) 三月六、七両日いずれも同課組合員が右時間外勤務中、非組合員らが同課に入室し組合員の中止要求を無視して組合の貼付したビラ剥がしを行つたので、同課組合員らは残業を中止して帰宅し、組合は同月九日非組合員の右行動について医事課長石井博、院事務局長星野覚に対し抗議し今後かかる事態の生じないことの確約を求めたが、拒否されたので、以後同課組合員の時間外勤務はしない旨院側に通告するとともにこれを実行した。

(3) 同月二〇日院は、医事課長を通じ次のとおり医事課員(組合員)らに対し配置換命令書を手交した。

事務主任高橋英子―看護学院へ、事務員・申請人吉岡―内科(外来)へ、事務員潤間喜代子(組合斗争委員・職場委員)―売店へ、同平尾禎敏(組合斗争委員)・同有馬悦子―各会計課へ、同佐藤貞子―整形外科(外来)へ

右六名のうち三名は同月二三日までに右命令に応じたが、申請人吉岡及び前記潤間、平尾はその後も右命令を拒否して引続き医事課に出頭していたところ、団は同月二七日右三名に対し命令拒否を理由として同月二八日から四月三日までの出勤停止を命じた。

(4) 右六名に対する配転命令は、違法な時間外勤務を合理化するとともに医事課における組合活動の抑圧を図つた無効のものであるが、団側は、家族、職制等を通じて右六名に命令の受諾及び組合脱退を強く勧め、その他の同課組合員に対しても組合脱退を強要したその結果、同課の組合員は一名に減じた。

4 組合は、団側のこれら態度を団結権の侵害であるとし、三月初以降就業規則改訂反対、労働協約の締結、不当労働行為の排除等を争議の主目的として斗争態勢を強化し、三月二四日、四月一〇日、一九日の三回にわたり全面ストライキを実施したほか、院内各職場ごとの部分スト、外来患者等に対するビラの配布、院施設へのビラの貼付等の活動を行つた。

五、(一) 団は、申請人高橋に対し三月二八日口頭で(さらに四月三日付内容証明郵便により、また同日院の食堂内に公示して)三月三一日限り、その余の申請人ら(以下「関ら七名」という。)に対し四月二〇日付内容証明郵便をもつて同月二三日限り、各解雇する旨の意思表示をなすとともに、各申請人らに対し解雇予告手当として別表賃金月額欄の各金額を提供した。

(二) 申請人高橋は、解雇当時その理由を告げられなかつたが、三月三〇日給食課における職場交渉の際木村給食課長は「同申請人は、大学の自治会役員をしているので、そのことから院でも組合活動をするものと判断したのが解雇理由である」旨を明らかにした。

(三) 関ら七名に対する解雇理由は、その解雇通告書によれば、〈1〉事務局長不法監禁、〈2〉厚和寮における総婦長傷害(吉岡を除く)、〈3〉抜打ち給食スト(岸、青木、吉岡を除く)、〈4〉不法ピケ、〈5〉ビラ貼付等の幾多の非行をなし、就業規則所定の懲戒事由『故意又は重大な過失によつて業務上不利益を生ぜしめたとき』(七五条一号)、『業務の遂行を阻害する行為をなし又は業務の秘密を洩らしたとき』(同条三号)、『故意又は重大な過失により病院の体面を著しく汚し、信用を毀損したとき』(同条一二号)、『前各号の外、この規則その他遵守すべき事項に違反したとき』(同条一三号)に該当し、その情状が最も重いので解雇するというのである。

六、右解雇の意思表示は、次の理由により無効である。

(一)  本件解雇は、申請人らが行つた正当な組合活動に対する報復的不利益処分であると同時に、解雇当時の組合の春季斗争態勢(四(二)4)の抑圧、組合の弱体化破壊を狙つたものであつて、労働組合法七条一、三号の不当労働行為である。

このことは、前述した申請人らの組合における指導的地位・経歴、本件解雇に至るまでの労使関係、さらに後述する本件争議の背景・実情、団側の反組合的言動、団が掲げる解雇事由の失当性等に徴しても明らかである。

1 一般に医療事業においては、看護婦、栄養士、検査技師その他従業員すべてが自己犠牲と奉仕の精神の押しつけの下に低賃金、過重労働、非近代的な隷従関係におかれ、院においても、国の福祉施設として最大のサービスが要求されながら、経営上は独立採算制がとられ、その結果はすべて劣悪な労働条件として現われた。

そこで、組合は結成以来、組合員の経済的地位の向上、基本的権利の確立をめざし活溌な組合活動を行つてきたが、団側は、もともと労使関係の近代化に熱意をもたず、組合の要求や争議もその場限りで圧殺すれば足るとの態度に終始し、組合無視、組合に対する支配介入、抑圧等の挙に出た。

2 団の反組合的言動を例示すれば次のとおりである。

(本件争議に至るまで)

(1) 団側は、昭和三四年年末一時金要求に対しては団本部と院幹部とが互に交渉の責任をなすり合つて組合を迷わせ、昭和三五年春季斗争時には交渉委員が雲隠れし、同年夏季一時金斗争時には賃金が安いなら辞めればよいとの暴言を吐き、毎期の一時金斗争に際しては、組合と殆んど話し合わないまま支給日直前に至つて、団側の案で実施する旨を通告して組合の一方的譲歩を迫るのを常とする等、団交に誠意を示さなかつた。

また、昭和三五年末一時金斗争の頃から牛込警察署公安係巡査山本某が院に出入して組合員に嫌がらせを行つたが、職制らは同巡査に種々情勢報告を行い、昭和三六年春季斗争時には、団は全従業員に対し組合を誹謗するビラを再三配布して組合員の動揺を図り、同年夏季一時金斗争時には、団側は団交席上、「争議はなるべく平穏に、団で定めたルールに基いてやつて貰いたい。あくまでストライキを含む争議行為を行うなら覚悟がある。」と言明した。

(本件争議中)

(2) 団は、前述〈1〉、〈2〉、〈3〉の要求について一一月中は充実した団交を行わずに放置し、〈2〉の要求については、一二月一日に新回答をする旨約しながら、同日の団交においては右約束をした覚えがないと放言して一方的に団交を打切り、その後三協側の再三の申入れに拘らず、同月八日まで団交の再開を拒み続け、〈3〉の要求に対しては、一月一二日に至つてはじめて回答として「新俸給表案」(その内容は賃上げとならない。)を提示し、その後も〈1〉の要求と併せて同月二六日、二月五日等団交を重ねたが、組合の要求に対して何ら誠意を示さなかつた。

(3) 従来、院では、就業時間内の組合活動(職場間連絡や執行委員会等)を黙認して時間内離席の場合でも、院はこれを知りながら賃金カツトを行つたことがなかつたところ、団は〈2〉の要求をめぐり組合活動が活溌化している折柄、突如時間内組合活動を禁止し、かつ、この場合賃金カツトする旨定めて一二月六日組合に通告し、その活動に打撃を与えようと図つた。

(4) また、団は、前記(四(二)2)の経過により就業規則改訂及び心得の制定実施を強行したが、就業規則改訂については実質的に、心得(就業規則の運用に関するもので、性質上その一部をなす。)については形式的にも組合の意見を徴しないでこれを制定施行した点においていずれも労働基準法九〇条違反に該当する。しかも、その各内容は、例えば、争議に際しても組合掲示板以外に組合がポスター等を貼付掲示することを禁じ、ピケは平和的説得に限るものとし、ストの際の保安要員は院長が指名するものとし、それらの違反は懲戒処分すべき旨定める等争議時には正常業務における指揮命令系統が切断されることを無視し、争議行為を一方的に制限するものであつて、組合活動に対するいわれなき介入である。

(5) 団はその前後組合員を含む全従業員に対し組合攻撃のビラ配布、掲示をなし、さらに三月に入つては、一日院長名で組合に対し従来放任されていたビラ・ポスター類の撤去要求及び院内での集会、時間外院内立入の禁止を通告し、同月三日には従来認めてきた組合の構内放送施設の使用を禁じ、同月六日には組合青婦部が厚和寮(新宿区揚場町一〇番地所在、院の看護婦寄宿舎、以下「寮」という。)において実施しようとした在寮看護婦の集会を禁止し(後記第五の一(五))、同月六、七日には構内に貼られているビラ、ポスター類を職制らで剥がして破棄し(医事課における行動は前記四(二)3(2))、その後組合の点検パトロール(後記第五の一(六))、ピケ(同(八))にも干渉を加え、さらに給食課員小松広正ら個々の組合員(医事課員については前記四(二)3(4))に対し職制を介して組合脱退を勧奨し、四月四日組合員らの厚生施設である娯楽室を閉鎖した。

(申請人高橋の正職員不採用)

(6) 院側は、一月に入つてから申請人高橋(その採用及びその後の経緯については後述第五の二)の身許調査を行つた結果、同人が法政大学自治会役員であることを知り、組合活動をすることを惧れて、正職員に採用しなかつた。

(二)1  申請人らには、解雇されるべきなんらの理由もなく、したがつて、本件解雇は、就業規則の解雇規定の適用を誤つたものあるいは解雇権の濫用として無効である。

2  関ら七名については、被申請人が懲戒事由として主張するところはすべて組合の活動としてなされたものであつて、仮に右行為中に正当といえないものがあつたとしても、その点につき組合に対し損害賠償等の責を問うのはともかく、個々の組合員に対して懲戒責任を問うことはできない。

七、よつて、申請人らはなお、団の従業員であつて、団に対し各解雇の翌日以降の賃金(月額別表記載のとおり、毎月一六日支払)の支払を求める権利がある。しかるに、団は、申請人らが団の従業員たることを否定し、賃金支払のほか従業員としての社会保険、厚生施設の利用を妨げ、かつ、職場内における組合活動を拒否している。申請人らは、団から支払われる賃金以外に生活の源泉がなく、このまま本案判決まで推移すれば回復できない損害を蒙る。よつて、地位保全及び各解雇の翌月分以降の賃金仮払を求め本件仮処分申請に及んだ。

第三、被申請人の答弁

一、申請の理由一の事実は認める。

二、同二の事実は認める。

三、同三の事実は、(一)及び(二)1の事実(申請人高橋に関する部分を除く。)を認め、その余は争う。

申請人高橋の組合加入や組合活動の事実は全く知らない。同人については組合費のチエツク・オフの申出がなされたこともなく、また仮に同人が執行委員に選ばれたとしても、その時期は解雇後である。

四、同四の事実は、(二)3について次のとおり争うほか、すべて認める。

非組合員がビラ剥がしを行つたのは、三月六日だけであり、組合がこれに抗議したのは翌七日である。

社会保険診療報酬は、院の総収入の殆ど全部を占め、その請求事務の遅延は直ちに院の経理、運営に重大な支障を与えるものであるところ、請求書提出期限は実務上翌月八日までとされているが、請求の基礎となる記録は各科診療時間中はこれを請求事務に使用できないので、院においては従来医事課職員合意のもとに毎月末日から翌月八日頃まで時間外勤務により請求書(月約六、〇〇〇枚)作成の業務を処理してきた。右時間外勤務について院は、昭和三五年二月以降再三組合に対し三六協定の締結を申入れてきたが、組合はこれに一顧も与えなかつた。

ところで、前記のとおり同課組合員が時間外勤務を行わなくなつたので、三月八日医事課長から、さらに翌九日星野事務局長から組合員らに再考を求めたが応じないので、当月限り請求書の提出先たる基金に期限の猶予を求め、他課事務職員ら二十数名の手を借りて三月一一日漸く請求書作成を了することができた。しかし、翌三月分以降については然るべき措置を考慮する必要があり、同課員中数名は組合幹部であつて上司の制止に反して時間内組合活動を敢えてしたので、同課の事務能率の維持円滑化のため前記配転命令に及んだものである(後任者六名のうち、五名は同課事務の経験者を充てた。)。

五、同五の事実は、(二)の事実を否認し、その余は認める。

六、同六の事実について

(一)  同(一)冒記の主張は争う。

1 同1の事実は争う。

2 同2の事実について

(1) 同(1)の事実は争う。組合は、昭和三四年末一時金要求以後の各争議を通じて団交ルールの無視の態度を繰返し、ために正常な団交を行えない状態であつた。例えば、昭和三四年一二月二日、同月七日、昭和三五年四月二二日、同年五月一日等の団交の際、組合側は十数名ないし約五〇名が交渉場内に立入り、同月九日の東京都地方労働委員会(以下「都労委と」いう。)公益委員立会の団交の際にも三十数名が入室して喧騒を極め翌朝五時まで本論に入ることができなかつた。同年六月三協結成直後、団は静ひつを保つべき病院の特性から、団交場所・院外、交渉人員・双方各一〇名以内との団交ルールを提案し、三協との間に団交場所は交互に指定すること、交渉人員は右提案どおりとするとの了解ができた。同年年末一時金争議時に組合側は、人数制限の点に異議を唱えたので、団は同年一二月三日都労委に団交ルールにつき斡旋申請をしたところ、組合側が異議を撤回したので、同月五日右申請を取下げた。しかるに組合は、同月一五日から翌一六日にかけての団交に多数組合員を動員し、昭和三六年四月一九日、同月二四日には団交終了を自認しながら、多数組合員をもつて団側交渉員の退場を阻止し数時間にわたり監禁状態とし、その他、院内における徹夜団交時に中庭に多数組合員を集め労働歌斉唱、シユプレヒコールにより患者の安静を乱したり、抗議陳情の名下に院職制を吊し上げたり、団本部へ大挙押しかけたりする暴状を繰返した。

(2) 同(2)の事実中、〈1〉〈2〉〈3〉の要求につき一一月中の団交では結論に至らず、〈2〉の要求につき一二月一日の団交が決裂し、〈3〉の要求につき一月一二日団から「新俸給表案」が提示され、同月二六日以降〈1〉の要求と併せて団交が重ねられたことは認めるが、その余は争う。〈1〉の要求は団の経理上も給与体系上も到底応じられぬものであつた。〈2〉の要求については、団は経理状態を数字で詳細説明したが、一二月一日の団交の席上申請人岸がこのような団交は続けられぬといきりたち、組合側から団交を打切つた。〈3〉の要求については、一〇月に実施された公務員給与改訂の趣旨を充分考慮し時期をみて賃上げを行う方針であるが、一律引上はできない旨を一二月一日組合に回答するとともに新俸給表原案を翌年一月中作成次第提示することを約した。なお、一二月一日以後の団交申入の点については、後記第四の一、(一)のとおり。

(3) 同(3)の事実は争う。就業時間中の組合活動が原則として許されず、それによる不就労時間に対し賃金を支払わないことは当然であり、院が原則どおりこれを実施することを確認したとしても、何ら非難される筋合はない。院においては従来から時間中の組合活動に対して警告注意を与えてきており、ただ賃金カツトを実施しなかつた場合が若干あつたに止まる。

(4) 同(4)の事実中、心得に申請人ら引用のような定めのあることは認めるが、その余は争う。心得は団から管理者にあてた示達であつて、就業規則の性質を有しない。また、就業規則の改訂については前記(第二の四(二)2)のとおり文書で組合に意見を求めたほか、二月二八日星野事務局長から電話で賛否を質したが、組合はこれにも回答しなかつたので、やむなく以上の経過を記した文書を添付して所轄庁に改訂の届出をしたのである。なお、就業規則改訂、心得の制定は、従来の争議時における組合員らの職場秩序を乱し保安を無視する等の不当な態度・言動に鑑み、厳正な労務管理によつて業務の円滑な遂行を期したものにほかならない。

(5) 同(5)の事実中、団がビラ、掲示によりその見解を示したこと、申請人ら主張のとおりビラ、ポスター類の撤去要求及びその除去、院内での集会・時間外院内立入・点検パトロール・ピケの禁止、厚和寮における集会(看護婦の集会ではない。)の制止をしたことは認めるが、その余は争う。右組合側の行動はすべて違法なものであつて、これを禁止した団側の措置は正当である(後記第四の一(四)以下)。

(6) 同(6)の事実は、申請人高橋の正職員不採用の理由を争うほか、認める。

(二)  同(二)の主張は争う。

七、同七の事実中、団が申請人らを従業員として扱わないことは認めるが、その余は争う。

第四、被申請人の主張=本件解雇の理由

一、申請人関ら七名について

(組合の非違行為)

(一) 団本部職員吊上事件

組合は、一二月四、五両日いずれも年末一時金をめぐる団交申入に藉口して団本部に赴き(組合側は同月一日の団交を自ら打切つたまま、従来の例を破つて団に対し院経由の事前の団交申入もせず、就業時間内に突然団本部におしかけ、しかも会議室への案内を拒んで後記のような言動に出たことからみて、訪問の目的が団交申入になかつたことは明らかである。)、次のような業務妨害、秩序紊乱の言動に及んだ。

1 一二月四日午後四時三〇分頃申請人関、同小野瀬、同岸は、大阪、九州各労組幹部を伴い計八名で、突如、団本部事務室へどやどやと入室し、申請人岸は、本部事務局長中里喜一に対し、東京労組名義の五日午後三時の団交申入書を手交し、凄い劒幕でその趣旨を説き始め、同局長が会議室で話し合う旨告げてその場を去つたが、申請人岸らは、「ここで話すから局長を呼んで来い」等と怒号し、本部職員課長川原と押問答を繰返して局長席前の応接セツトに坐り込み、会議室から引き返えしてきた中里局長に団交の確約を強硬に求めて「理事達はどうしたのだ。誰も居らぬとは無責任ではないか。無駄めし喰いばかり揃つている。」と騒ぎ立て、同局長の「明日は、内部事情で団交は出来ぬが、明日中に団交の日時は通知する。」との回答に対し「どんな内部事情があるか説明せよ。」と執拗に迫り押問答を繰り返し、同局長が血圧の関係で気分が悪くなり午後五時四〇分頃席を立つた後も、川原課長と押問答を続け、「理事長が七日に出張より帰る予定だから八日に団交する。」との回答に一応納得した。しかし、今度は中里局長の先程押問答の際の「黙秘権」云々の発言の取消を要求し、医務室のベツトで氷枕をして休んでいる同局長に逢わせろと要求し、川原課長の説得にも拘らず、「この件の話がつくまで帰らぬ。」と頑張り、午後七時五〇分頃川原課長、同課主事奥貫進康が立会い、申請人関を含む組合側三名が医務室で病臥中の中里局長に対し前記発言取消を要求した上、午後八時頃ようやく引き上げた。

2 翌五日午後四時五〇分頃、申請人関、同岸を含む組合側計九名が本部事務室に赴いて、川原課長に組合名義の同月六日、七日、八日各午後三時からの連日団交申入書を手交した後、「本日団から文書で一二月八日に団交するとの回答があつたが、我々は八日まで待てぬ。明日から連日団交を持つよう要求する。今日は誰も責任者が居ないがどうしたのだ。責任者を出せ。」と詰め寄り、川原課長が全責任をとることを言明したのに、なお、「今迄おとなしくしていたが、今後は戦法を変えて昔に帰り手荒い手を用いる。理事長が七日まで帰らぬと云うが、電話で連絡して明日でも団交を持て。そういう方法も講ぜずに八日でなければ団交を持てぬとは不誠意も甚だしい。直ぐに電話をかけろ。」と騒ぎ立て、川原課長の「此の段階に来て重大な問題を電話で打合せることは無理だ。明日理事と相談して、必要があれば電話する。」との答えにも「そんな返事だつたら給仕でも出来る。課長自身今日の責任者として理事長と連絡した方がいいと思うか否か、その返事を聞くまでは徹夜しても帰らぬ。」と怒号し、特に申請人岸は川原課長に対し「それでは三〇分待つから返事をしろ。返事がなければ行動を起す。油虫だつて夜中になると動き出すんだ。ムシヨなんてこわくないぞ。今丁度金がないから都合がいい。徹夜と云つても一晩じつとしていないぞ。何だつたら火をつけるぞ。川原、奥貫を押えつけるぞ。この二人なら看護婦だけでも楽だ。そして書類を引つ張り出すぞ。鍵なんかかけてあつても平気だ。鍵をあける本職が居るかも知れん。リコピーの機械もあるようだし只では帰らぬぞ。電話線を切れば一一〇番も通じないぞ。」等暴言の限りを尽し、交々川原課長、奥貫主事に対し電話連絡を要求して返答を迫つたが、同課長らの「電話するよう努力する。」との言に一応納得し、午後七時三〇分頃引上げた。

(団は、右の件につき、同月八日組合あて厳重な警告を行つた。)

(二) 院事務局長不法監禁事件

一二月六日午後四時三〇分頃、院四階事務局長室において、星野局長、庶務課長遠藤巽及び庶務課員鈴木明男が事務打合せ中、申請人関、同外川、同岸、同青木、同吉岡、組合員平尾禎敏、同木村美千代、同渋谷善雄、菅(組合専従書記)及び大阪・九州労組員四名(後になつて申請人隈本、組合員島津宏之らも加わつた。)が突然入室し、星野局長を取り囲んで「院は時間内組合活動を禁止し、若しそれを行つたら賃金カツトをするというが事実か。」と詰問し、同局長が「時間内組合活動の禁止は当然であり、賃金カツトも今後は必ず実施する。」と答えたところ、一斉に大声をあげて「時間内組合活動は許さるべきだ。事務局長は直ちに右発言を撤回しろ。」と叫び続け、申請人関は「叩き殺すぞ!」「どうせ死ぬんだから棺桶を作つて待つていろ。」と喚きたて、申請人岸は星野局長のひざをこずき、申請人吉岡は同局長の鼻先へ手を振り上げ、右要求を拒めば同局長の身体に危害を加えかねない気勢を示し、この騒ぎにおどろいて入室して来た副院長森巽にも「お前なんか停年だからやめちまえ。」等数々の暴言を浴せた。こうした叫声、罵声のうちに約一時間経過ののち、申請人岸は「これから実力行使する。事務局長を此の室から明日まで出さない。明日も労組員を交替して監視し、家に帰さない。」と言つて星野局長を威嚇し、同局長が全員に退去要求したのを聞き入れぬのみか、「事務局長の家へ行つて家族ぐるみの団交だ。」「ビラをべたばりにして奥さんに嫌がらせ言つてこい。」「缶詰の方法はいくらもある。洗濯団交といつて一晩中椅子を揺り動かしたり、手足をしばり、ころがして置く方法もある。」等脅迫的言辞を用い、他の組合員らも悪口雑言を続けた。午後六時四〇分頃、森副院長が星野局長に帰宅を促し、ともに右室を出ようとするや、組合員らは、多数で副院長を外へ押し出した上、星野局長の腕をとらえてもとの椅子に連れ戻し、組合員の一人が扉を内部より施錠し、さらに衝立を扉の前に運んで監禁状態に至らしめ、副院長が右室内の状況を憂慮して遠藤課長とともに外側より扉を開けるよう呼びかけたが、何等の応答もしなかつた。星野局長は、その後二回にわたり組合員らに退去を促し、午後七時一〇分頃組合員らの隙をみて卓上電話で一階事務室に居た院会計課長川田章二に不法監禁されているから手配を頼むと連絡したところ、午後七時三〇分頃警察官二名が出動し、漸く右室を出ることができた。

(院は、右の件につき一二月二八日組合に厳重な警告を行つた。)

(三) 妥結後のスト続行、保安要員引上

1 年末一時金要求(〈2〉の要求)については、一二月一六日午後三時四〇分団本部会議室において三協代表(申請人関、同岸ほか)が出席して協定書調印を了した。右調印に先立ち、組合側は、当日のスト(調印当時東京労組のみが続けていた。)は午後四時限り打切る旨を約し、右協定書二項にも「即時斗争体制を解く」旨定められていたにも拘らず、組合は午後五時五〇分に至るまでスト中止を指令せず、そのため、午後四時から就労すべき準夜勤看護婦一一名が午後六時頃まで就労しなかつた(東京病院では、午後四時を過ぎてもなおストを続けているので、看護婦の準夜勤務交替の関係上、星野局長が組合事務所へ二回にわたり電話でスト中止を催促したが、「少し待つてくれ」と応ぜず、午後五時三〇分に至つて申請人関、同外川、同小野瀬、同岸外五、六名が星野局長、遠藤庶務課長と副院長室で面会し、星野局長が即時スト解除を求めたのに対して、申請人岸は、「今次争議中の責任追及はしないと確約してくれ。」と執拗に要求したが、同局長がこれに応じないため、午後五時五〇分漸くスト中止指令を出した。)。

2 組合は、同日正午以降協定(協定は本来同日午前中の保安要員に関するものであつたが、ストが午後にわたる場合には右要員を出す旨の口頭の約束があつた。)に反して、保安要員中病棟看護婦(組合員)四名に対し引上げを指令し、内二名が就労しなかつた。

3 右1、2の事態により、同日正午以後は本来勤労すべき病棟看護婦(組合員)二〇名のストに加えて、保安要員二名が就労しなかつたため、院はやむなく午前中の保安要員(非組合員)に引続き超過勤務を命じて疲労困憊の中で不十分な勤務を続けさせる結果となり、看護業務に重大な支障を来した。

(団は右の件につき一二月二三日組合あて警告書を発した。)

(四) 建造物毀損的なビラ貼り

院は、かねて構内における貼紙を禁止していたが、組合は争議中再三の禁止通告を無視して次のとおりビラ貼りを行つた。

三月一日院は組合に対し現在貼付されているビラ、掲額ポスター等を三月三日までに撤去すべく、当日までに撤去しないときは管理者の責任において撤去すること、今後所定の場所以外に貼付することを禁止する旨を通告したが、同日に至るも撤去しないため、同月五日午後院側においてこれらを撤去した。

しかるに、同日午後八時三〇分頃申請人関、同小野瀬、同岸、同青木、同隈本、同吉岡、組合員潤間貴代子、平尾禎敏らは約五四〇枚のビラを糊で医事課窓口その他へベタばりにした(翌六日院は組合及び右の者らに対し厳重な警告を行うと共にビラの撤去を行つた。)。

さらに、組合は、同月一五日新館整形体操場において全員集会を行つた後、午後九時一五分頃から申請人吉岡のほか中曾根正治、平尾、阿部美江子ら二〇名位の組合員が一斉に一、二階に分かれて本館玄関、医事課窓口、廊下、本館及び新館連絡口等に二、〇〇〇枚以上のビラを再度糊でベタばりした(院は一六日組合に厳重な警告を行うと共にビラの撤去を行つた。)。

さらに、同月一六日午後一〇時頃組合員木村睦巳、中曾根、島津、田中昭らは正面玄関、医事課、エレベータ内、柱に、同月二四日午前二時頃申請人吉岡は、外部の者数名を引率し新館玄関、正面玄関に、同月二七日午後二時頃申請人吉岡、組合員木村美千代、山田進は、医事課長机及び同課窓口に、四月二日午前八時二〇分頃申請人隈本、同青木、同吉岡、前記島津、中曾根らは医事課窓口に、同月三日午前七時四〇分頃組合事務所に集つた申請人関、同外川、同青木、同隈本、同吉岡外十数名が三班に分れ本館一階、二階、外来待合、医事課窓口にそれぞれ多数(三日には約二〇〇枚)のビラをいずれも糊付した。

右ビラ貼りによつて、院本館、新館連絡通路、院の表看板、壁、柱等(病室、診療室内にはビラ貼りは行われなかつた。)にその痕跡をのこし、塗りかえ等を必要とするまで(建造物毀損というに十分な程度)汚損された。

(団は、組合のこれら行為につき組合及び各実行者あてそのつど厳重警告を行つた。)

(五) 寮における無許可集会強行、総婦長傷害事件

1 院総看護婦長園部梅(以下「総婦長」という。)は、三月五日午後九時頃帰寮した際、寮玄関の右手に、三月六日午後五時三〇分より寮新館広間において職場問題を話し合う会合を開くから参加を求める旨の組合青婦部名のビラが貼付されているのを見付けたので、翌六日院に出勤してから寮自治会(以下「自治会」という。)会長高橋洋子(看護婦長)、同副会長向田外代子(看護婦長)に自治会が右使用を許可したかどうかを質したところ「許可していない。」とのことであつたので、星野局長とも連絡の上、午前九時三〇分頃総婦長室から組合事務所へ電話し、寮は勤務者が休養し、私生活を営む場所で、組合員だけの寮でないから、組合活動のための集会に使用させることは出来ない旨を告げたが、申請人関は、興奮して聞き入れずに電話を切つた。午前一〇時過ぎ、申請人関、同外川、同岸、同青木、島津宏之が突然総婦長室に来り「何故寮を使用するのが悪いのか。」「総婦長は病院だけのことで一歩外に出たらただの人間だ。」「寮は自治会がやつているのだから、総婦長の許可を受ける必要はない筈だ。さつさとやめて行け。」等大声でわめきたて、種々悪口を吐き午前一一時一五分頃引き上げた。

総婦長は、午後五時三〇分頃寮に帰るとすぐ寮清掃員浜野清子より組合員らが来たとの知らせを受けたので、自室から寮の旧館と新館との間にある非常口のところまで出て行つたところ、申請人外川、木村美千代の二名が来て「会の内容も聞かずに断わる法があるか。」「看護婦の問題で自治会員が寮室を使うことがどうして悪いか。」等とどなり散らし、総婦長が「それでは本当に看護婦だけの会ですか。」と念を押したところ、「そうです。」と明言した。しかし、その直後旧館玄関のほうから申請人青木、同隈本、大阪労組執行委員越智淑江(隈本は栄養士で、越智とともに自治会員ではない。)が新館の入口まで来たことから、総婦長は、申請人外川らの言は偽りであると認め、同人らに対し、「看護婦だけの集りで部外者はいないと言い切つておりながら、部外の人達が入るようでは、この上話し合つても無駄でしよう。」と告げ、新館入口の扉を開き中に入り、左手でハンドルを持ち扉を引き、右手で鍵を廻わしかけた時、外側にいた申請人外川、同青木、同隈本達が外側よりいきなり強く引張つた為、総婦長も引かれ、右手が鉄扉の内錠にくい込み手甲に裂創(七針縫合、全治二週間)を負つた。

申請人外川、同青木、同隈本らは、右事態におどろき、旧館玄関の方に戻つたが、そこにたむろしていた組合員らと合流して、旧館娯楽室に押し入り、そこで午後七時三〇分頃まで会合を強行した。

2 事業附属寄宿舎においても寄宿労働者の自治は認められるが、これはあくまで私生活の自由の観点に出たものであり、その範囲を超えた、特に部外団体の会合等については、施設の管理者たる院として、これを許可にかからしめ、原則としてこれを許可しないことは、当然である。本件の場合、従来許可の例のない組合主催の会合を寮を直接管理する総婦長において許可しなかつたのは、何ら非難に値しないし、組合活動に対する干渉と呼ばれる筋合はない。組合がそのような会合を行うには、寮の他に施設がないではなく、院側の指示を無視して集会を強行することは、院内の秩序を紊乱するものといわなければならない。

(院は、右の件につき三月七日組合あて、同月一五日申請人外川、同隈本あて厳重警告をした。)

(六) 夜間病棟内における不法徘徊

病棟における看護婦の夜間勤務体制は入院患者の人命身体の安全保持上必要最少限度のものであり、重症患者を多数収容する病棟で夜勤中の一、二名の看護婦に対し説得或いは威嚇のため組合幹部その他の組合員が面会を強要するが如きは看護業務に対する重大な阻害である。よつて院は三月一二日全職員に対し勤務員以外の院建物内への立入りを禁止する旨通達すると共に翌一三日組合宛この旨通告した。

しかるに組合は翌一四日この通告を無視し、「院内パトロールを強化せよ。」との指令を出して、次のとおり組合員を動員して、院内パトロールと称してほしいままに病棟その他に立ち入り徘徊せしめた(かような組合活動を深夜に行う必要は存しない。)。

(イ) 三月一四日午後一〇時一五分頃西五階病棟勤務室、同午後一〇時三〇分頃西三階病棟勤務室に谷口邦子(看護婦)が各入室した。

(ロ) 同月一六日午後九時二〇分頃、田中昭が院内パトロールを行つた。

(ハ) 同月一七日午後一一時頃西五階及び南五階各病棟勤務室に申請人隈本が入室した。

(ニ) 同月二一日東四階病棟において申請人小野瀬、石川昇、島津宏之、川原忠雄が院内パトロールを行つた。

(ホ) 同月二七日午後一〇時一〇分頃南五階病棟勤務室に平尾禎敏、中曾根正治が入室した。

(ヘ) 同月三〇日午前二時過ぎ、西三階病棟深夜勤務看護婦宮沢郁子のところへ申請人外川ら数名が来て組合加入を説得した。

(ト) 同日午後一〇時一〇分頃南三階病棟勤務室に申請人青木、森田静子が入室した。

(チ) 四月三日午後一一時頃田中昭が新館三階病棟心電図室に宿泊した。

(院は組合の右行動に対しそれぞれ警告を行つた。)

(七) 抜打ち給食スト事件

1 三月二一日(春分の日。院の休日)午前四時三〇分頃、申請人関より星野局長宅へ電話で、本日午前五時から午前八時三〇分まで給食課の重点部分ストを行う旨突然通告があり、当日朝の同課当直勤務者は栄養士一名、炊事員五名、給食を要する入院患者は約四八〇名であつたが、申請人は右炊事員のうち組合員四名(島津宏之、上滝敏幸、石川昇、川原忠雄)を連れ去つて就労させなかつた。当日の宿直員園田暁男(非組合員)からその旨電話連絡を受けた遠藤庶務課長は、直ちに、電話連絡できる給食課員を呼び出すよう手配し、右手配により出勤してきた市来、鈴木各栄養士、山中給食課員や前記園田、遠藤課長、守衛当直細田、事務員徳永、自動車運転手酒巻、さらに森副院長も盛付や配膳車による運搬を手伝い、漸く午前八時頃患者に給食(当日はたまたまパン食のため、かろうじて)を全うすることが出来た。

(院は、申請人関及びこのストに加わつた四名に対し厳重な警告を行つた。)

ところが、右警告にもかかわらず、組合は再び四月二日午前五時頃申請人関より星野局長宅へ午前五時より給食課の部分ストを行う旨電話で通告し、これを実行した。

院は、組合のかような行動に備え給食部門の当直員を一名多くしており、また直ちに電話連絡により給食課員を緊急に呼び出して漸く患者給食の業務を全うし得た。

2 病院における給食の意味は、家庭や工場におけるそれと性格を異にし、入院患者は、入院を要する程度の傷病の状態にあつて完全看護の名のもとに生命維持の手段方法を病院に万事委せ切つているのである。このような入院患者に対する給食に支障を伴い又はそのおそれがあるようでは、入院患者の治療は存在し得べくもない。従つて病院給食に支障を与え、或は給食につき患者に不安感を抱かすような行為は、争議行為としても、本質的に許されない。のみならず、本件給食ストは、単に抜打ストである点のみからしても明らかに正当性を欠く。

(院は、四月三日ストを指令した申請人関に対し厳重な処分を以て臨む旨再度警告した。)

(八) 違法ピケによる入場阻止事件

1 組合は第一波半日ストを三月二四日に行う旨の掲示やビラ配布をしたので、院は三月二三日正午までに保安協定締結のため交渉員の指名を申請人関に文書で申入れたが、同時刻までに回答がないので、院はスト当日非組合員全員入構を決定するとともに、代替要員のない看護部門等につき組合員中右スト当日の勤務該当者のなかから保安要員二四名を業務命令により指名し(右要員中一三名はこれに服せずストに参加した。)、午後四時までに伝達を了した。

三月二四日当日は午前七時頃より組合員らが逐次院正面玄関前に集り、午前八時頃には外部の者多数を混えて一〇〇名位が数層の列になつて互にスクラムを組み、ピケを張つて院の正面玄関を完全封鎖した。非組合員は、午前八時頃までに順次院左側通路に集合し、森副院長、星野局長先導のもとに院正面玄関に向い、同副院長、同局長はメガホンを持つてピケ隊の前に行き「業務の妨害をしないで下さい。」「就労する非組合員を入れて下さい。」と連呼したが、ピケ隊はワツシヨイ、ワツシヨイの掛声のもとに、愈々スクラムを固めて頑として応ぜず、星野局長が申請人岸の許に行きピケを解いて非組合員を入れるように交渉したが、拒否された。そのうち外来患者がだんだんと来院したため、院側は正面玄関上より「本日は平常通り診療を致します。」とマイクで放送し、非組合員五、六〇名が一団となつて入場を試みたが、ピケ隊は「入れるな、入れるな。」と叫びながら、これを阻止し突返して来たので一旦退き、暫くして再び入場を試みたが、組合員らが必死に抵抗阻止したため押し合い揉み合いの混乱状態となり、午前八時四〇分頃漸く中央のピケラインが一部解けたので、非組合員全員があいついで入場することができた。なお、玄関ドア側の組合員が非組合員の入場をあくまで阻止せんとしたため、玄関ドアの大ガラスが割れ、内部にいた会計課事務主任加藤宣匡がその破片を浴びて左前腕に全治二週間の切創を被つた。

組合は午前一〇時四〇分頃、ピケを解いた。

(このピケに対し、三月二七日厳重警告を行つた。)

2 四月一〇日第二波ストの場合も前日院側から保安協定の申入れを行つたが、これに応じないため、組合員中より保安要員を業務命令により指名した。

組合員は同日午前七時前後より組合事務所を出て正面玄関に向い、正面玄関ガラス、柱にビラをべたべたに貼るとともに、玄関ドアの把手に棒をさしこみ、鉄線、荒繩でしばつて開閉不可能とした上で、前回同様、外部の者多数を混えた約一〇〇人が数層の列でならびスクラムを組みピケラインを張つた。院は、平常通り診察を行う旨けんすい幕及びマイク放送により示し、森副院長、星野局長は患者の入場、非組合員の就労を阻止しないよう数回にわたり呼びかけたが応じないので、前回と同様、非組合員一団となつて再三にわたりピケの排除をはかつたが、組合側の必死の抵抗により破れなかつた。こうして一時は混乱状態に陥り、院側は已むなく職員を外に出し西一階非常口等より一部外来患者を誘導入場させたが、組合は結局午前一〇時三〇分頃ピケを解いた。

3 四月一九日、第三波ストの際は、組合は、院正面玄関のみならず、東玄関、新館玄関のドアにも把手に棒をさし込み、更には鉄網等を鉄線、紐等でしばつて開閉不可能とし、正面玄関前にピケを張つて、あくまでも通行を阻止する態度に出たので、院はやむを得ず警察の保護を要請し、機動隊の出動を見るに至つた。警察官から再三スピーカーで警告し、その実力行使寸前の状態となつたため、組合は午前一〇時三〇分頃ピケを解いた。

4 右ピケは、示威・説得の範囲を遙かに超え、実力によりあくまで非組合員、外来患者らの院内立入を阻止しようとしたものであつて、争議行為としての正当性を欠くことは明らかである。

院には正面玄関以外に出入口がいくつかあるけれどもその故をもつて組合の正面玄関における入場阻止行為を正当化することはできない。すなわち、勝手知つた従業員は別として、外来患者にそれらの出入口からの入場を期待することは本来無理であるばかりでなく、実際上も支障、困難を免れなかつた(院には、手足の不自由な整形外科患者も多く、院側は西一階非常口から外来患者を誘導しようとしたこともあつたが((四月一〇日))、階段や狭い金網の戸口が妨げになり困難だつた。本館裏の出入口はその前に階段があり、公道に面する正面玄関から遠い点において、また、新館入口から二階の渡り廊下又は地下道を抜けて本館に至る経路も患者に歩を運ばせることの困難を考えれば、いずれも現実性がない。東玄関(職員玄関)は、入場後の経路に難があるのみならず、組合事務所のすぐそばで、ここから外来患者を入場させようとすれば、当然組合側の妨害による混乱が予想された。)。

各当日とも院は診察を行おうとし、かつその能力もあつたが、本件入場阻止により外来患者取扱数は著しく減少し、院の業務は阻止された。組合は、単に組合員の労務の提供拒否に止まらず、不当な実力をもつて非組合員たる職員、外来患者の入場を妨害阻止し、院の業務の運営に重大な支障をもたらしたものである。

(申請人らの責任・就業規則の適用)

(九)1 申請人関ら七名は、前記(一)ないし(八)の事実(組合の非違行為)につき組合の最高幹部として互に意を通じてこれを企画し、実行させたほか、

(1) 申請人関は、(一)、(二)、(八)につき直接これを指揮しかつ率先実行し、(四)につき率先実行し、(五)、(七)につき直接指揮し、

(2) 同外川は、(二)、(四)、(五)、(六)、(八)につき率先実行し、

(3) 同小野瀬は、(一)(一二月五日の分を除く。)(四)、(六)、(八)につき率先実行し、

(4) 同岸は、(一)、(二)、(四)、(八)につき率先実行し、

(5) 同青木、隈本はいずれも、(二)、(四)、(五)、(六)、(八)につき率先実行し、

(6) 同吉岡は、(二)、(四)、(八)につき率先実行したものである。

2 院の就業規則には、職員の服務につき、

「第三条 職員は厚生年金病院の主旨を体し職制により定められた上司の指揮命令に従い、職場の秩序を保持し、規律を重んじ、職員相互間の人格を尊重し、一致協力してその職務の遂行に努めなければならない。

第三条の二 職員は構内に於いては常に静ひつを保ち、院長の許可なくして集会を催し又は行進等をしてはならない。

第三条の三 職員は院長の許可した以外の場所において病院建造物及び構内にポスター、幕、旗等を貼付又は掲示してはならない。」

職員の懲戒につき、申請人ら引用の懲戒事由の定め(第二の五(三))のほか、

「第七六条 懲戒は情状程度により……譴責、減給、格下げ、昇給停止、出勤停止及び解雇の六種とし……(中略)……

六 解雇は、予告期間を設けないで即時解雇する。」

との定め(但し、右引用の規定中、第三条の二、三は、三月一日改訂により追加されたもので、その余は制定当初から存在する。)がある。

3 組合の前記(一)ないし(八)の非違行為は、公共的な福祉施設経営の任にあたる団として看過できないところであり、これに就業規則を適用すれば、

(一)、(二)の点は、いずれも七五条三号前段(業務遂行阻害)、一三号(三条違反)

(三)の点は、七五条一号(『故意』によるもの、以下同様)、三号前段、一三号(三条違反)

(四)の点は、七五条一号、三号前段、一二号、一三号(三条、三条の三各違反)

(五)の点は、七五条一三号(三条、三条の二各違反)

(六)の点は、七五条三号前段、一三号(三条、三条の二各違反)

(七)の点は、七五条一号、三号前段

(八)の点は、七五条一号、三号前段、一二号、一三号(三条、三条の二各違反)

に各該当するところ、申請人らは、組合の最高幹部としてかような組合の非違行為防止に努めるべく、またこれを防止し得る地位にありながら、団側の再三、再四にわたる制止・抗議・警告を無視し、なんら反省するところなく、それらの行為を反覆累行せしめ、自らも率先実行したものであつて、その情状は極めて重く、就業規則七六条六号の解雇を相当とする。

二、申請人高橋について

(一)  臨時雇傭の性質

申請人高橋と団との雇傭関係は、次記のような臨時雇傭関係であつて、本採用を予定した試用的性質のもの(この場合は、人事担当課において身許調査等を了え、辞令により、定員関係上又は業務見習の必要上臨時職員の名で採用する。)と異なる。団における臨時雇傭者は、その採用が当該課長に一任され、辞令等の書面によらないし、賃金は日給制によつており、雇傭期間は、業務の一時的増加又は正規職員採用までの補充の必要に従うもので、予め定めることは困難であるが、あくまで一時的な短期間を前提としている(団は、院当局に対し最大六ケ月を超えないものと指示している。)。右臨時雇傭者が選考を経て本採用となつた事例はあるが、必ずそうなるものではない。

申請人高橋は、これら事情を知悉しながら臨時雇傭契約を結んだものであり、院給食課長木村国太郎は同人に本採用を約した事実(第五の二(一))もなく、その権限もない。

(二)  採用及びその後の経緯

申請人高橋は、採用当時法政大学経済学部(夜間部)に在学していたが、給食課調理師武藤昭治が突然退職したので、一時の手不足をしのぐ目的でいわゆる学生アルバイトとして雇用したものである。

木村課長は同年一一月申請人高橋から本採用の申出を受け、一二月八日庶務課長遠藤巽にこれを伝え、同課長は、同申請人の大学在学の事実から難色を示したが(学卒者が炊事員として永く勤務することは不自然であり、管理上も支障を伴い易い。)、同僚木村課長に対するよしみから、一応選考手続(面接、身許調査、身体検査等)にのせることとした。しかし、一二月二五日遠藤課長の面接の際も、同申請人の勤務継続の意思は明確でなく、一月三〇日警務科長堺信市が法政大学第二学生課に赴き調査した結果、大学の成績良好、指導力もあり、自治会執行委員として活動しているが、前に胸を病んだことがある等の事実を得た。遠藤課長は、当初から形だけ選考手続を進めたものであるから、身体検査も実施せずに、二月上旬頃当初の意見どおり、本採用は不可であり、右結論を得た以上なるべく早い機会に解雇した方がよい旨を星野局長に具申して了承を得、木村課長を介してその趣旨を本人に伝えた。

(三)  解雇の必要

三月に入つて、院は昭和三七年度予算編成に当り、各職場ごとの必要人員の検討を行つたところ、木村課長から、特別食患者増加による専従栄養士増員の要求があり、院として、給食課につき栄養士一名増、炊事員中臨時職員一名減の方針を決めた。そこで臨時職員たる炊事員二名(申請人高橋及び小松広正)のうち一名を三月末限り解雇することとなつたが、申請人高橋には前記(二)に述べた事由があり、(一)に述べた六ケ月の期間満了も迫つているので、同人を選択したもので、右解雇は業務上の必要に基く正当なものである。(なお、申請人高橋の解雇の直後、同課にアルバイト学生二名を雇入れたのは、同課組合員のストに備えたもので本来の要員ではなく、四月一五日頃にはこれを解雇している。)

第五、申請人らの主張=被申請人主張の解雇理由に対する答弁・反論

一、申請人関ら七名について

(一)  被申請人の主張第四の一(一)に対して(年末一時金団交拒否)

冒記の事実は争う。組合側が被申請人主張の両日団本部に赴いた目的は、専ら団交申入にあつた。一二月一日の団交を打切つたのは団側であつて(前記第二の六(一)2(2))、組合側は一時金要求については支給日も迫り、九日にストを予定していたので、早期に団交再開の必要があり、従来団側では理事、事務局長らが責任者として団交に臨んでいたので、たとえ理事長が不在でも八日以前に団交を開いてできる限り論点を縮めておこうと考えていた。

1 1の事実中、被申請人ら主張の者がその主張の時刻頃団本部事務室に赴き中里局長、川原課長に対しその主張の趣旨の団交申入書を手交して交渉をしたが、同局長らは理事長不在を理由として八日以前の団交を拒否したこと、その間医務室に退席した同局長のもとに申請人関ら三名が赴いたことは認めるが、その余は争う。

その際、中里局長らは理事長不在を理由に回答を拒み、組合側が「理事長にはこちらから連絡して返事を聞いてもよい。他に団交を開けない理由があるのか。」と追求しても「理事長はどこにいるかわからない。団の都合は君達に関係がないから答える必要がない。」と述べ、誠意が窺えなかつた。組合側は、これに抗議したが、このような場合に多少高声になることはやむを得ないし、これを業務阻害というのは当らない。なお、申請人関らが医務室に行つたのは、中里局長の退席が川原課長のいうように病気のためであるかどうか真偽を確かめるためであり、組合側が団本部を引上げたのは午後七時頃である。

2 2の事実中、被申請人ら主張の者がその主張の日団本部事務室に赴き川原課長、奥貫主事に対しその主張の趣旨の団交申入書を手交して交渉したが、同課長らは前日と同じ理由で右申入を拒否したこと、組合側は同課長から被申請人主張のような言質を得て退去したことは認めるが、その余は争う。

組合側が団本部を訪れたのは、午後四時頃でまだ就業時間中であつたが、松原理事らは既に帰宅していたので、川原課長に対し理事だけでもよいから団交を開くよう要求し、前記言質を得て退去したのである。

3 以上の行動につき組合側が非難を受けるいわれはなく、却つて団側の右態度は不当労働行為(団交拒否)といわなければならない。

(二)  同(二)に対して(賃金カツトに関する院事務局長団交)

1 組合側が被申請人主張時刻頃から事務局長室で星野局長に対し組合活動による賃金カツトにつき交渉し、撤回を求めたこと、その間、森副院長が来室しやがて先に退室したこと、午後七時過星野局長が被申請人主張のような電話をし、その主張の頃警察官二名が来室し同局長が退室したことは認めるが、その余は争う。同室に赴いたのは被申請人主張の申請人らのほか、組合員渋谷、菅書記及び東京、大阪、九州各労組員数名であるが、申請人岸、同隈本は午後五時三〇分頃退室し、その他にも途中退室者があつて後半は組合側在室者は四、五名に過ぎなかつた。

組合は、院の時間内組合活動に対する賃金カツトの方針決定(前記第二の六(一)2(3))を組合に対する新たな攻撃とみて、右のとおり星野局長を訪ね、右方針につき説明、撤回を求め、医師らの遅刻早退は問題とせずに組合活動の場合のみ賃金カツトすることの不当性、賃金カツトの具体的計算方法等について質問、追求したが、同局長は「ノーワーク・ノーペイの原則から、賃金カツトは当然である。ただし、医者は別だ。」「君達が何と言おうと、考えどおり実行する。もう答えるのは面倒だ。わしにも黙秘権はある。」等と云うのみで真面目に答えようとしないので、交渉は長時間にわたつたが、押問答や双方沈黙のまま睨み合う時間が多く、話し合いは進まなかつた。森副院長(職務分掌上労務関係はその権限外であつて、組合も同人と交渉する意思はなかつた。)は交渉開始二、三〇分後に入室してすぐ一旦退室したが、約一〇分後に再び来室し、局長に帰宅を勧めた後暫時中央の椅子で交渉の様子を聞いていたが立上つて局長に再び帰宅を促したので、組合側は局長に対し「賃金カツトの具体的方法について回答をせずに帰つては困る。」と抗議したところ、一旦立上つた局長は再び着席し、副院長だけ退室した。

以上の間、組合側には被申請人が主張するような暴言、暴力の行使、監禁の事実は全くない(局長がかなりの時間をかけて前記電話連絡するのを組合側で妨害したこともなく、副院長においても右事態を監禁としてとくに局長救出のための措置を講じたふしはないし、来室した警察官らも、不法監禁ではないと認め、刑事事件としては取上げられなかつた。)。

2 右賃金カツト問題に関する星野局長との交渉は正当な組合活動であり、却つて同局長の言動こそ団交に対する不誠意な態度として非難さるべきである。

(三)  同(三)に対して(スト終了直後の不就労問題)

1 1の事実中被申請人主張の時刻頃その主張のような協定が妥結調印されたこと、一二月一六日午前中組合がストを行い、午後争議責任不追及につき院と交渉したことは認めるが、その余は争う。

年末一時金については一二月一四日から一五日早朝にかけての団交において団の示した案で一応の合意に達したが、組合側交渉委員は斗争委員会の承認(妥結の要件)を求めるため、団交を一時中断休憩した。ところが、一五日早朝団側は、各病院あて「一時金斗争妥結、一六日スト中止」のニユースを流し、各病院から全従業員に伝達されたので、一二月一五日に開かれた組合斗争委員会は交渉委員(申請人関、同岸ら)が団側と裏取引をしたとの不信を強め、さらに金額の引上、争議責任不追及協定の獲得を要求して、交渉委員らの説得にも拘らず一六日午前中のスト実施を決定した。同日午前中、交渉委員らがさらに説得を続けた結果、金額の点は認めるが争議責任不追及の要求は維持するとの線で組合意見が統一されたので、争議責任は各施設長から申出のない限り行わない旨の団の言明を得て協定調印に至つたものである。

申請人岸は、団側の申出により右調印後電話で院の組合員にあて職場を離れている者は直ちに就労するよう指示し、さらに申請人関、同岸は、院に戻つて星野局長からなお不就労者があることを聞き、組合事務所にいた組合員を説得して就労させた。

以上のとおりであるから、組合は、一六日午後についてはストその他の争議行為を指令した事実はなく、組合幹部において組合員の不就労を知りながら放置していた事実もない。

2 2の事実は争う。同日午後に関する保安協定はなく、組合が保安要員に不就労を指示をしたこともない。

3 3の事実中、同日午後に被申請人主張の保安要員が引続き勤務したことは認めるが、その余は争う。当日は土曜日であるから、午後は病棟看護を除く業務は殆んど行われない例であるところ、午後も引続き勤務した前記保安要員は、概ね当該職場勤務者であり(院では、看護婦については臨時に他職場から補充することもままある。)、午後四時以降についても、相当数の看護婦が就労しているのであるから、看護の業務に重大な支障を来したことは考えられない。

4 仮に、同日正午以降組合員中に多くの不就労者があつたとしても組合や組合幹部に責任はなく、さらにそれが仮に組合の指示慫慂の結果であつたとしても、右事態は組合の正当な争議行為と目すべきものである(労働協約に定めのない限り、争議行為につき使用者に通告する義務はなく、また、保安協定のない限り保安要員提供の義務もない。)。

(四)  同(四)に対して(ビラ貼り活動)

1 組合員らが組合の指令により院の施設にビラを貼付したこと、三月一日組合に院から被申請人主張の通告を受けたがこれに応じなかつたことは認めるが、その余は争う。

組合は、右指令に際しては、病室、診察室内、看板等へは貼付しないよう、原状回復困難な貼り方をしたり内容が個人誹謗等にわたらないよう厳重に注意し、組合員らもそれを厳守した。

2 組合は従来の各争議に際してもビラ貼りを行つていたが、団はこれを黙認ないし放任してきた。しかるに、本件争議において、院側が組合員の面前で積極的にビラ剥がしを行い、その労賃を組合費より差引く等の挑発的行動に出たため、組合員のビラ貼り活動は一層強まつた。

わが国の企業別労働組合においては、宣伝、示威等の組合活動が当該企業の施設を利用してなされ、またそうしなければできない場合が多い。ビラ貼りが業務または施設の維持管理上格別支障がない程度のものであれば、使用者はこれを受忍すべきであり、この場合組合のビラ貼りは正当な争議行為である。

(五)  同(五)に対して(寮集会干渉)

1 1の事実中、組合青婦部が被申請人主張の日時・場所において職場の諸問題を話し合う会合を開くことを計画し、前日その旨をビラで寮玄関に掲示し、その主張の時・場所において右会合を実施したこと、総婦長が右会合の当日組合に対しその禁止を通告したが組合は拒否の回答をし、当日夕刻申請人外川らが総婦長に右集会開催につき面談交渉したこと、その直後被申請人主張の時刻、場所で総婦長が手甲に受傷したことは認めるが、その余は争う。

右集会は看護婦のみの会合であつて、予め自治会長高橋洋子の許可を得ており、寮規則によれば、新館広間を自治会員が使用することは自由であつたから、組合は総婦長にその旨を告げて通告には従えないと回答し、さらに、右集会が在寮の看護婦の安眠や施設の安全を害する性質のものでない理由を述べて総婦長に抗議し説得するため、申請人外川、同青木、同隈本、大阪労組員越智らが寮に赴いた。そして、先ず外川、青木両名が総婦長と交渉を始めたところ、総婦長は交渉を避けるため、新館入口仕切戸内側に逃れ、その際自ら同扉ノブを強く引張り自己の過失で受傷したものである。看護婦でない組合側の者が右集会に臨席したのは、参会者に右事態を説明したものに過ぎない。

2 労働者の寄宿舎における生活は市民としての私生活であつて使用者がこれに干渉することは許されない(労働基準法九四条)。施設の管理と共同生活の秩序維持に必要な範囲で寄宿舎規則等を設け寮生活を規律することは許されるけれども、右必要の範囲を越えて私生活(組合活動の自由も含まれる。)を規制することは許されない。本件における総婦長の言動は、却つて院側の違法な干渉というべきである。

(六)  同(六)に対して(オルグ、点検活動に対する干渉)

1 組合が院内のパトロール(但し、組合員の勤務室を廻り極く短時間滞留して組合員に対する連絡事項伝達、後記オルグ、点検活動等を行うことをいう。)を指令し、三月一二日被申請人主張の通達があつた後もこれを行つたことは認めるが(但し、被申請人主張(イ)(ロ)(ホ)(チ)の事実は不知)、その余は争う。

2 労働組合の維持運営にとつて、組合員掌握、組織拡大のための日常的オルグ活動、労働条件低下、不当労働行為防止のための常時的点検活動が不可欠であるが、右活動の対象は、職場で働く労働者とその職場であるから、職場を離れてこれを行う余地は殆んどない。看護婦の交替勤務制(準夜勤午後四時~一二時、深夜勤午前〇時~八時)から、夜間における右活動も必要であり、そのため組合員が一時勤務室に滞留しても、看護業務を阻害するものではなく、阻害した事実もなかつた。このようなオルグ、点検活動は正当な組合活動であり、むしろ、これに対する院側の規制干渉は不当労働行為というべきである。

(七)  同(七)に対して(配膳部スト)

1 1の事実中、被申請人主張の両日組合が直前の通告をもつて給食課員の時限ストを行つたことは認めるが、その余は争う。

右ストは一般食配膳担当者のみが行つたもので、栄養士を含まないから、その担当する特別食には関係がなく、一般食の調理も前日に完了していた。組合は右スト実施に当り当日の献立等を検討の上、代替者によつても給食に支障を生じないよう考慮を払つたもので、事実両日とも患者の食事に支障を来していない。

2 右ストの当時労調法三七条の通知後所定期間を経ているのみならず、院側にも一般的に争議行為を随時行う旨予告し、すでにストを反復実施していたのであるから、いわゆる抜打ちストの非難は当らない。また、病院の給食部門は労調法三六条の安全保持施設ではないから、同条の制限も受けない。本件配膳部ストは正当な争議行為である。

(八)  同(八)に対して(ピケツテイング)

1 1の事実中三月二四日組合が第一波・半日ストを実施し、午前八時頃院正面玄関前にピケ(但し、組合側約五六〇名による二列横隊)を張つたこと、午前八時過院側の森副院長を先頭とする一団が入場を試み、ピケラインが破られたことは認めるが、その余は争う。

組合側は、正面玄関においても患者の出入を物理的に阻害したことはなく、東玄関(従業員通用口)その他の出入口にはなんの措置もしていない。しかるに、院側は、あえて正面玄関からピケ隊を実力で排除しようとして職制、非組合員、私服警察官らの体当りにより一瞬にしてピケを破つた。

2 2の事実中、四月一〇日組合が第二波ストを実施し、正面玄関前にピケを張つたこと、院側がこれを実力で排除しようとしたことは認めるが、その余は争う。

ピケは午前八時頃までは約二、三〇名が二列横隊であり、その後約六〇名になつたが、団側約四〇名が私服警察官らとともにピケ破りの挑発行動に出たのではじめてスクラムを組んだのである。当初正面玄関の扉とピケ後部との間には間隙があつて出入自由であり、その後玄関扉の把手に棒切れをさしこんだのは、建物内の職制らが内側から引き開けようとしたからである。また組合は午前七時過頃東玄関扉の把手を針金で縛つたが、これも容易に外れる程度のものであり、病棟勤務者の就労時午前八時までには自ら撤去している。

院側は玄関前及び玄関内に職制、非組合員らを待機させ、私服警察官と連絡をとりつつ午前八時三〇分頃から四、五回にわたり森副院長指揮下の一団をもつてピケ隊に突撃して実力排除を試み、組合は、午前九時頃ピケを解いた。

3 3の事実中、四月一九日組合が第三波ストを実施し、正面玄関前にピケ(約七〇名)を張り、東玄関扉を針金で閉鎖したこと院側がピケの実力排除を試み、警察官の介入のあつたことは認めるが、その余は争う。

ピケや扉閉鎖の方法、その排除の経過等は2に述べたところとほぼ同様である。

4 4の事実は争う。

本件ピケは専ら使用者への示威、外来患者へのアピール、組合員の意気昂揚、団結を図ることを目的としたものであり、非組合員、職制らの就労を妨げていないし、患者の出入を実力ないし物的施設によつて妨げた事実もない。急患以外の患者にはなるべく帰つてもらうよう説得したが、患者とピケ隊とのトラブルは皆無であつた。平常時でも正面玄関を開くのは午前八時三〇分頃、診療開始は午前九時であるから、その以前に来た患者は所詮待つほかはなく、また本件スト時でも正面玄関以外の出入口は通行可能であつたから、院側はこれら出入口から患者を導入し得たはずである。

本件ピケは争議手段として正当なものであり、院側のピケ隊に対する行動こそ挑発、混乱のみを目的とした組合活動に対する不当な干渉である。

(九)  同(九)に対して

2の事実を認め、その余は争う。

被申請人が援用する就業規則の規定は、もともと業務阻害を本質とする争議行為を対象としたものではなく(その一部規定、例えば、三条の「上司の指揮命令に従い」「一致協力して」等は団交をも対象としたものではない。)、したがつて(一)ないし(八)の行為には、その適用がない。

仮に、申請人関ら七名の所為が就業規則の懲戒規定に該当するとしても、真の解雇理由はその点になく、正当な組合活動にあることは前記(第二の六(一))のとおりである。

二、被申請人主張第四の二に対して(申請人高橋について)

(一)  (一)の事実は争う。

申請人高橋のように団において「臨時職員」と呼ばれる者は、「アルバイト」または「パート」と呼ばれる当初からの短期被雇傭者と異なり、その実体は本採用を予定した試用者であつて、正職員と同様に(アルバイトと異なり)当直勤務にも服し、一時金の支給も受け、三ないし六ケ月程度経過すれば前科発覚等著しい不適格事由がない限り正職員となるのが通例であつた。

申請人高橋は、採用以来一度の事故もなく正職員同様の勤務を続けてきたが、木村課長は同人採用の際に前記雇傭趣旨を告げ、さらに一二月の同課職場集会において同人を翌年一月一日付で正職員とする旨確約した。

(二)  (二)の事実中、申請人高橋が採用当時法政大学(夜間部)に在学していたこと、同申請人が本採用希望を申出て遠藤課長の採用面接を受け院において大学等につき同人の身許調査を行つたことは認めるが、その余は争う。

申請人高橋を本採用としない理由が被申請人主張のような点にあるならば、身許調査を持つまでもないところであり、それが真の理由(ひいては本件解雇理由)でないことは、この点からも明らかである。

(三) (三)の事実中、申請人高橋の解雇後アルバイト学生二名が雇入れられ、右二名が同月半頃退職したことは認めるが、その余は争う。

右学生アルバイトは、申請人高橋の解雇により一般食の炊事員が手不足となり、その補充として雇われたものである。

第六、疎明〈省略〉

理由

第一、申請の理由一、二、三(一)、(二)1(申請人高橋に関する部分を除く。)、四(一)、(二)1、2、3(3)、4、五(一)、(三)及び被申請人主張一(九)2の各事実はいずれも当事者間に争がない。

第二、申請人関ら七名に対する被申請人の解雇理由について

一、「団本部職員吊上事件」について

(一)  争のない事実、成立に争のない甲第一九号証の一ないし三、第二五号証、乙第二九号証ないし第三二号証、第六六号証、申請人関の供述により成立の認められる甲第三号証、弁論の全趣旨により成立の認められる乙第七六号証、越智、中里の各証言、申請人関、岸の各供述に弁論の全趣旨を総合すれば、次のとおり認められる。

1 三協は、一一月一〇日団に対し〈2〉の要求を提出したが、同月中の団交では結論に至らず、一二月一日の団交が決裂した後は団交の日取りも取り決められていなかつたところ同月四日午後四時三〇分頃(就業時間中、但し、理事らはいずれも不在であつた。)申請人関、同小野瀬、同岸は、大阪、九州各労組幹部とともに計八名で予告なく、団本部事務室に赴き、自席で執務していた団事務局長中里喜一(一においては「局長」という。)に向つて、申請人岸がいきなり東京労組名義の五日午後三時の団交申入書を手交したうえ、その趣旨を説きはじめた。局長は、同事務室の一隅にある会議室で話し合おうと告げてその場を去つたが、右三協側八名は、局長席附近から動かず、申請人岸は「ここで話すから局長を呼んで来い」等と叫び、団本部職員課長川原、同課主事奥貫(一においては、それぞれ「課長」、「主事」という。)にも右団交申入の趣旨を繰返し申述べ、課長の「今日は、理事が不在であるから、団交の日時は答えられないが、追つて通知する。」との答えに納得せず、そのうち引返してきた局長にも同旨要求を繰返すとともに「理事たちは、どうしたか。誰も居らぬとは無責任ではないか。無駄飯喰いばかり揃つている。」等と叫び、局長の「明日は内部事情で団交はできないが、明日中に団交の日時は通知する。」との回答に、「どんな内部事情か説明せよ。」と迫つた。局長が「内部事情は君達に関係がないから答える必要がない。黙秘権と言うものだつてあるのだ。」と言つたきり、気分が悪くなり黙つて医務室に退去した後は、さらに課長と押問答を続け、課長が「理事長が七日には出張から帰る予定であるから、八日に団交をもつこととしよう。」と回答したのに対し、申請人岸は、「理事長がいつも団交に出席しているわけでもないし、理事長が留守でも団交はできる。とにかく、五日に団交を開け。」と要求し、申請人関、同岸交々「年末手当支給日も迫つているので、八日まで待てない」と述べ、さらに申請人岸から局長の前記「黙秘権」の言辞の取消を要求した。結局、三協側は、「明日も続けて団交要求に来る。」と述べた後、申請人関ら三協側三名が課長、主事に伴われて医務室に赴き、局長が立去つたのは気分が悪くなつたためであることを確かめるとともに、横臥中の局長に向つて再び前言の取消を要求して、午後七時頃全員引揚げた。

2 翌五日、団は、理事長の出張日程を確かめたうえ、三協委員長あて文書で一二月八日午後三時から団交を行う旨通知したところ、申請人関、同岸を含む三協側九名は就業時間中(午後四時を過ぎていた。但し、理事、局長はいずれも不在であつた。)団本部事務室に赴き、申請人岸が課長に対し東京労組名義の同月六、七、八日各午後三時からの連日団交申入書を手交した後、「我々は団の回答のように、八日まで待てない。今日は誰も責任者が居ないのはどうしたか。責任者を出せ。でなければ、課長が責任を持つか。」と要求し、課長から全責任をとる旨言質を得たうえ、課長に向い、右団交申入の趣旨を繰返し申述べ、さらに「電話で理事長に連絡して明日団交を持て」等と要求し、課長が「明日理事と相談したうえ」等確答を避けるや、口口に「そんな返事なら給仕でもできる。課長自身今日の責任者として理事長と電話連絡した方がよいと思うか。その返事を聞くまでは徹夜しても帰らぬ」と怒号し、さらに、申請人岸は課長に対し「火をつけるぞ。電話線を切れば一一〇番も通じないぞ。」等と申し向けて右返答を迫つたが、結局、課長から「理事長に電話連絡するよう努力する」との回答を得て、全員午後七時頃退去した。

3 右両日とも執務中の本部職員の中には、申請人岸その他の言動に驚いて仕事をやめ注視していた者もあつた。

4 当時、団理事長は日本赤十字社副社長田辺繁雄であつて団本部に常勤せず、組合側との団交には従来常務理事松原久人、理事安中忠雄、局長等が団側を代表して団交に臨む例となつていた。

5 年末一時金は、毎年一二月一五日に支給される例となつていたが、三協側は、従前の交渉の経験から、団側が実質的な話し合いを進めないまま支給日直前に至つて初めて具体的回答を示し、支給日切迫のため三協側が一方的譲歩を余儀なくされる事態に陥ることを憂慮し、一二月一日団交決裂後その対策につき協議を重ね、一方では同月九日スト実施を予定するとともに、他方団交の再開を強く要求することとし、ことに同月五日の協議では、理事長の在否に拘らず、団交を重ね、できる限り同月九日のストを回避するとの結論を得ていた。

(二)  右事実に基く判断

1 被申請人は右両日にわたる三協側の行動は団交申入に藉口して団の業務遂行を阻害したものと主張し、(一)1、2の三協側の言動が全般に粗暴、喧騒にわたつた点は否定できないけれども、右行動の真の目的が団交の早期再開を求めるにあつたことは、叙上の事実、とくに(一)5の組合側の事情に照して殆んど疑う余地がない。三協側が就業時間中に直接団本部を訪れた点も、〈2〉の要求が性質上団の処理事項であり、そのために団の責任者に面会を求める必要があるとすれば当然のことであつて、それ自体は三協側を非難する理由とならない。

2 三協側が団交の早期再開のため強硬に局長その他の担当者の措置を求めたのに対し、団側は責任を不在の上席者に転嫁するていの受動的な応答に終始していたところから、三協側において団側の右態度を団交の遷延、拒否のための口実とみたとしても一応無理からぬところであつて、三協側の執拗激越にわたる前記言動は、多分に右団側の態度に誘発されたものと認められる。

3 三協側の前記行動により、団本部の業務が(一)3の程度において阻害されたことは否定できないが、それ以上に団の業務に重大な支障を生じた事実は認められず、三協側においてことさらに団の業務を阻害しようとする意図を有していたものとは認め難い。

4 しかし、(一)2の三協側の言動中、申請人岸の「火をつけるぞ。電話線を切れば一一〇番も通じないぞ」等の言辞は、明らかに常軌を越えた脅迫的内容のものであつて、団交を求める場における組合要求貫徹のための発言であることを考慮しても、到底是認し得るものではない。

5 以上要するに、申請人岸の上記発言は、正当な組合活動の範囲を逸脱したものというべきであるが、その他の三協側の行動についてはとくに正当な組合活動の範囲を越えたものと認められるふしはなく、上記岸の発言も突発的なものであつて、その責任は申請人岸の個人的責任に帰せらるべきものである。

二、「院事務局長不法監禁事件」について

(一)  争のない事実、前出甲第三号証、第二五号証、成立に争のない乙第三三号証、第六八号証、第八八号証、それぞれ院事務局長室の略図、写真であることに争のない甲第二一号証、乙第六五号証の一ないし三、弁論の全趣旨により成立の認められる乙第六九号証、第七〇号証、星野(一部)、森、遠藤の各証言、申請人関(一部)、同外川、同岸(一部)、同隈本の各供述を総合すれば、次のとおり認められる。

1 院では、従来、従業員の就業時間中の業務外(組合活動を含む。)離席につき賃金カツトを行つていなかつたが、昭和三六年春の争議時組合活動による離席につき賃金カツトが行われたことをめぐつて労使間に紛議が生じ、その後は院側の方針も確定しないまま、業務外離席につき賃金カツトは概ね実施されていなかつた。ことに従業員中医師に対しては、出退時間を守らず就業時間中他に就労した場合にも、賃金カツトの措置は全く行われていなかつた。

2 院は、一二月初頃、就業時間中の組合活動禁止、不就業時間に対する賃金カツトを励行する態度を決め、事務局長星野覚(以下二においては「局長」という。)から各職制にその旨示達した。

組合側は、一二月六日午前申請人関がその所属上長検査科医師木村某から右示達のあつたことを聞知し、役員ら参集協議の結果、院の右態度を年末一時金要求斗争への先制攻撃とみて速かに抗議行動を開始する方針を決め、当日午後五時三〇分に予定されていた斗争委員会に右方針を諮ること、参集者らは直ちに局長室へ赴いて撤回交渉を続けることとし、もし右時刻までに交渉が終らないときは申請人岸ら一部の者は退席して斗争委員会に出席することを決定した。

3 右決定に基き申請人関、同岸、同青木、同吉岡は、組合執行委員・組織部長渋谷善雄、組合員平尾禎敏、組合書記菅、大阪・九州労組員四名らとともに同日午後四時三〇分頃、また申請人外川、同隈本のほか組合員島津宏之、同木村美千代がその後間もなく、いずれも院四階局長室に赴いた。

その際局長室では局長は会議用テーブルを囲んで庶務課長遠藤巽、同課主任鈴木明男(非組合員)が賃金カツトの問題について話し合つていたが、組合側は、右テーブルを囲んで着席し、あるいはその後方に立ち、まず、局長に向つて、右示達の真否、局長の意向を質したうえ、賃金カツトの方針の撤回を求めたが、局長はこれを拒否する旨言明した。そこで、組合側からさらに医師の早退等も賃金カツトの対象となるのか、カツトの具体的計算方法はどうか、賃金カツトは組合員のみを対象とし組合活動を規制しようとするものではないか、等の質問がなされたが、局長は賃金カツトは既定方針どおり実施する。組合との交渉の必要はない。医師は別だ等と答えるだけで、話し合いは併行線のまま進行しなかつた。

4 その間、午後五時過頃副院長森巽が局長室に入つてきていつしよに帰宅しようと局長に呼びかけたところ、組合側は同人に対し交渉はもうすぐ終る、副院長とは関係のないことであるから席を外してもらいたい、と告げた。しかし森副院長は、遠藤課長、鈴木主任と共に同室内に留つてそのまま交渉を見守つていた。

5 そのうち、組合側では局長を指して「あれは『事務長』で沢山だ。」「『星野さん』などと呼ぶのは勿体ない。『星野』で充分だ。」等の侮蔑的な無駄口を交し合うほか、申請人関において「叩き殺すぞ」「解剖してやる」等、他の者も「馬鹿野郎」「もう停年だからやめてしまえ」「棺桶を作つて待つていろ」等の発言を加え、さらに午後六時頃に至つて申請人岸は「これから実力行使する。局長を此室から明日まで出さない。明日も交替で組合員が監視し家に帰さない。」「誰か局長の家へ行つてビラ貼りをして来い。奥さんに嫌がらせを言つて来い。」と述べ、渋谷もこれに和して局長に住所を教えてくれと言つた。

この形勢をみて組合員らが局長宅へ押しかけるのではないかと危惧した副院長は、局長宅へその旨電話連絡させるため、遠藤、鈴木に示唆して右両名を退席させた。

6 その後ほどなく副院長は再び局長を促し共に退室帰宅しようとしたが、組合側は、「副院長は血圧が高いから、先に帰つたらよいだろう。」等と口々にいいながら局長と副院長との間に立ち塞がり、結局その気勢に促されて副院長だけが退室したところ、組合側の者が内側から扉に施錠し、その内側に衝立を運んで出入口を塞ぐようにした。間もなく副院長は遠藤課長とともに引き返して外側から扉の把手を廻したが開かず、内側からは何の応答もなかつた。

7 右副院長の退室後は、局長も組合側も殆ど沈黙したままでにらみ合いの状態を続けていたが、午後七時過頃局長は室内電話器で一階事務室にいた会計課長川田章二に監禁されているから手配を頼む旨を連絡し(電話器は局長の席から約三米離れたところにあつたが組合側において右電話連絡を阻止するような行動をとつた事実はない。)、院側の手配により間もなく警察官二名が来室したので(その事前に扉の施錠はとかれていた。)、組合側は交渉を打ち切り、局長は直ちに退室帰宅した。

8 その間院側では、局長室の情勢を案じて上記森、遠藤、川田、鈴木や警務科員数名が一階事務室に待機していたが、右電話連絡があるまで格別の対応措置をとつた形跡はなく、一方組合側で局長退室まで同室に滞留していた者は、申請人関ほか四、五名に止まり、申請人外川、同岸、同隈本はおそくとも前述の副院長退室より以前に退室していた。

9 組合側で同日の行動につき警察の取調を受けた者はなく、院側においても、一二月二八日組合あて警告書を発したほか、本件解雇に至るまで右行動につき格別の責任追及措置はとつていない。

(二)  右事実に基く判断

1 就業時間中における組合用務のための従業員の不就労に対して使用者が賃金カツトを行うことは相当であり、従業員中の医師に対してさほど厳格に就業時間を規制せず賃金カツトも行わないことは、医師の業務の特質に由来する病院一般の合理的慣行ともみることができるので、局長が組合の前記示達撤回要求に応じなかつたこと自体になんら不当視される点はない。

2 一方、組合側として従前の慣行や医師に対する取扱にも拘らず、争議状態下において院側がとくに賃金カツト励行の方針をうち出したことについて院の意図を糺明し、その撤回を要求するため院側の責任者たる局長と面接交渉すること自体も、組合活動として非難されるべきことではない。

3 けれども、右交渉の際における組合側の上記(一)4ないし6の行動は、論議を尽して局長を説得する態度ではなく、徒らに威圧をもつて局長に示達撤回の言明を迫るものということができ、とくに組合側における(一)5の「叩き殺すぞ」以下の発言はその内容において脅迫的なものであり、同6の扉の施錠行為は監禁に類する行動として、いずれも正当な組合活動の域を越えた違法のものといわなければならない。しかして、右違法な発言や行動が組合側の事前の共謀に基くとの疎明はないけれども、その際における組合側の在室者全員は、その助勢、認容の責を免れないものと考える。

4 もつとも、右違法言動に対する組合側の情状として、「解剖」「棺桶」等の用語は病院内では一般社会におけるほど深刻な響きをもたないとも考えられ、「実力行使云々」の言辞についても、従前の組合側の交渉態度から推して局長らもその言葉どおりの事態が実現するものと予想していたとは思われない。また、施錠の点についても、その時刻や前記院側職員の待機状況、さらに局長の電話連絡を阻止しなかつた事実等からみて、組合側としては局長に対する嫌がらせ以上の深刻な意図はなかつたものと推測され、院側待機者が警察に手配するまでもなく、外側から合鍵で開扉を試みた場合、なお実力をもつてこれを阻止したかどうかは疑わしい。

5 右組合側の違法言動についての申請人らの責任を考えてみると、強迫的発言の点について関、岸の両名は率先実行者として、その際在室していたと推認される外川、青木、吉岡は附和ないし助勢者として、また施錠の点につきその際在室していたと認められる関は助勢ないし認容者としての責任を負うべきものであるが、右言動の際在室を認められない隈本に対してはその責任を帰することができない。

三、「妥結後のスト続行、保安要員引上」について

(一)  争のない事実、前出甲第二五号証、乙第六六号証、第七六号証、成立に争のない甲第二〇号証(乙第一〇号証)、乙第三四号証の一、二、第六七号証、第九〇号証、弁論の全趣旨により成立の認められる甲第二三号証、星野、森、園部の各証言、申請人関、同岸の供述を総合すれば、次のとおり認められる。

1 組合は、一二月一六日午前八時から正午までのストを院側に通告してこれを実施したが、右ストに関し同月一五日院との間に保安協定を締結した。右協定書には、箇所別保安要員数を明記するほか、組合は保安要員以外の者がスト中に就労する場合には保安要員(組合員)を職場から引揚げる旨、院は要員外の就労に関する点は合意を留保する旨の各記載がなされている。

2 組合は、一二月一六日午前一〇時頃渋谷組織部長から総婦長あて組合員たる保安要員(看護婦四名)は同日午後は就労させない旨通知し、右四名中二名(いずれも、本来同日午後の勤務該当者でない。)が組合の指示に従い同日午後就労しなかつた。また、同日午後の勤務該当者であつた病棟看護婦(組合員)のうち、正午から午後四時までの勤務該当者中二〇名、午後四時以降の勤務該当者中約一〇名は、午後五時過頃まで勤務に就かないで、組合事務所附近に集つていた。

なお、同日正午以降医師、看護婦長その他若干の非組合員(当該職場勤務者)らが病棟看護等の業務に就労したが、組合側はこれに対してなんら抗議や阻止行動には出なかつた。

3 これより先、一二月一四日から翌一五日早朝にかけての〈2〉の要求に関する団交において三協側交渉委員は団側の提示した妥結案を一応了承したが、最終的に組合斗争委員会の承認を求めるため一時団交を中断していたところ、団側は同日早朝各病院施設の職制にあて「一時金斗争妥結、一六日スト中止」の内報を流し、それが組合員らにも伝わつたので、交渉委員(申請人関、同岸ら)が団側と裏取引をしたとの組合員らの疑念を招き、斗争委員会では金額引上、争議責任不追及を妥結条件として一六日午前のストを予定どおり実施することを決定した。

4 交渉委員らは同日午前中争議責任不追及を妥結条件とすることで斗争委員らを説得したうえ、同日午後三時四〇分団本部において三協代表(申請人関、同岸ら)と団側との間に〈2〉の要求に関する協定書の調印が行われたが、右協定書には、三協は“即時斗争体制を解く”旨の定めがあつた。なお、争議責任不追及の点については、三協側において団本部中里局長から各施設長の申出のない限り追及を行わない旨の口約を得て、東京病院に関しては、院事務局長と交渉する旨を告げたうえ、右調印に及んだものである。

5 申請人岸は、右調印の際、団側から東京病院にはなお就労しない組合員があると聞かされ、直ちに院内の組合事務所あて電話でまだ就労していない組合員があれば直ちに就労させるよう指示した。その頃、組合事務所には妥結を不満とする組合員らが詰めかけ、申請人隈本らの説得にも容易に就労しようとしなかつた。申請人関、同岸は、右調印後院に戻つて直ちに星野局長と前記争議責任不追及の交渉を行つたが、その際同局長からなお不就労者があることを告げられたので、組合事務所にいた組合員を説得してほどなく勤務該当者全員を就労させた。

(二)  右事実に基く判断

1 被申請人は、〈2〉の要求妥結後も、組合はストを継続したと主張するけれども、組合において同日午後にわたるスト継続を決定指示をした事実は認められず、前認定の経緯に徴すれば、同日午後にわたる組合員不就労の事態は、組合執行部の妥結方針を不満とする組合員各個の行動の結果であつて、むしろ要求妥結後は申請人関、同岸、同隈本ら組合役員において勤務該当の組合員を就労させるために努力を尽しているものというべきであるから、申請人らが右妥結後もストを継続したとして責任を問われるいわれはない。

2 被申請人は、組合との間に組合がストを午後にわたつて継続する場合には前掲保安協定にかかる要員を拠出する旨の口約があり、組合は右約束に違反したと主張するけれども、組合として同日午後にわたりストを継続したものと認められないことは叙上のとおりであるから、すでにこの点において右主張は理由がない。

四、「建造物毀損的なビラ貼り」について

(一)  争のない事実、前出乙第七六号証、成立に争のない乙第三七号証ないし四一号証、星野証言により成立の認められる乙第四二号証の一ないし五、写真付記部分につき同証言により成立の認められる乙第六四号証の四ないし二二、星野証言、申請人関の供述を総合すれば、次のとおり認められる。

1 組合は、院側の意に反して、その指令により、三月五日午後八時三〇分頃申請人関、同小野瀬、同岸、同青木、同隈本、同吉岡、組合役員渋谷善雄、潤間喜代子、平尾禎敏らが約五四〇枚のビラ(うち医事課、薬局窓口、待合室等合計約一四〇枚)を、同月一五日午後九時一五分頃以降申請人吉岡のほか約二〇名の組合員らが本館玄関、医事課窓口、廊下、本館と新館の連絡口等に約二〇〇〇枚のビラを、同月二四日(スト当日)午前二時頃申請人吉岡が支援団体員らとともに院の外塀等に「スト決行」等と記したビラを、同月二七日午後二時頃申請人吉岡ほか二名が医事課長の机等に「配転反対」等と記したビラ八枚を、四月二日申請人隈本、同青木、同吉岡らが相当数のビラを医事課窓口に、翌三日申請人関、同外川、同青木、同隈本、同吉岡ら十数名の組合員らが約二〇〇枚のビラを本館一、二階、外来待合、医事課窓口に貼付(多くは糊付)した。

右ビラの貼付箇所は外来患者らの眼にも触れるところが多く、その内容は、右に述べたほか、概ね組合の要求を掲げ、組合員の団結を強調し、又は団、院あるいはその幹部に反組合的行動があるとしてこれを難ずる趣旨のものである。

2 院は、組合あて再三にわたつてビラを貼付しないよう禁止警告を発しているが、その理由は、およそ許可なく院建造物、構内にビラを貼付することが就業規則に違反するというに尽きる。

3 院は、ビラが貼られるとその都度職制等を動員して間もなくこれを剥がしたが、組合側がこれを妨害した事実はなかつた(むしろ、組合側はすぐに剥がされることを予期しながら、ただ嫌がらせのためにビラ貼りを繰返していたとさえ推認される。)。

4 右ビラの多くはガラスに貼付され、痕跡を残さずに剥がされたが、一部廊下等に貼られたものは剥離後僅かながら痕跡を止めている。

(二)  右事実に基く判断

1 一般に使用者の意に反してその施設にビラを貼付することは使用者の有する施設管理権を侵すものといえるけれども、ビラ貼りが組合の宣伝活動の最も通常な方法であり、ことに企業内組合において争議時組合の団結を維持、昂揚し、争議の実情を組合員その他の従業員や一般公衆に訴える手段として企業施設をある程度までビラ貼りのため利用することは、組合活動として殆んど欠き得ないところというべきであるから、施設へのビラ貼りが使用者の意に反してなされたというだけで、直ちに違法な争議行為と断ずることはできない。その相当な限度については、それにより使用者が業務運営、施設管理上の蒙る支障の程度、組合側におけるその必要度、争議に至る経緯やその実態等を総合して具体的に決せられるべきものと考える。

2 組合の貼付した前記ビラの記載内容からいえば、争議時における組合の宣伝活動の目的に適合したものであつて、格別妥当を欠く点は認められない。

3 院の業務運営の面からみた場合、病院業務の性格上、ビラを貼付した場所、その数量、その表現内容等の点で患者の一般的不安を招くような刺戟的効果を伴うものは院の業務遂行に不当な障害をもたらすものとして許されないものと解すべきところ、前掲ビラのうち、三月五日、一五日、四月三日に貼られた分は、その場所、数量の点において右許容の限界を越え、その貼付は組合活動の正当な範囲を逸脱したものというべきである。

4 院の施設の維持管理の面からいえば、前記(一)4の程度の貼付方法にとどまる場合、その維持管理に重大な障害を生じたものとはいい難く、この点についての違法は認められない。

5 前記3のビラ貼付について申請人関ら七名は、いずれも組合幹部としてその企画指導に参画していると推認されるのみならず自ら実行者としてこれに参加している責任を免れない。

五、「寮における無許可集会強行、総婦長傷害事件」について

(一)  争のない事実、前出乙第六六号証、成立に争のない甲第一二号証、乙第四五号証の一ないし三、第四六号証の一、二、第八一号証、園部証言により成立の認められる乙第四三号証の一、二、星野証言により成立の認められる乙第四四号証、越智、園部、星野の各証言、申請人外川、隈本の各供述に弁論の全趣旨を総合すれば、次のとおり認められる。

1 院においては、看護婦を院に近接する寮に宿泊させ、総婦長をその管理責任者に充てていた。もつとも、一部看護婦には寮外通勤を認めていたが、右寮は看護婦全員のための施設とされ、後記自治委員会の母体である自治会も看護婦全員で組織されていた。

2 院の寄宿舎規則(労働基準法九五条に基き昭和二九年に制定)には、「建造物及び設備の管理」の章下に「寮……は、使用者の管理とする。但し、その一部を自治委員会に委任することができる」(二一条)、「行事計画及び運営等は自治委員会がこれを行い、必要に応じ院に連絡する」(一七条)と定め、その他起床、就床時刻(午後一〇時)の定めや、「寮員は娯楽室、作法室等を自由に使用できる」(一八)等の規定を設けるほか、寮の管理、運営についてはひろく自治委員会に委ねる建前をとつている。

3 従前寮の広間(作法室)、娯楽室等共同の用に供する室は、個々の看護婦が自由に利用するほか、看護婦以外の院従業員の会合や部外者を呼ぶ自治会主催の行事にも利用されていたが、このような場合の利用手続は明確に定まつていなかつた。

4 組合青婦部は、三月六日午後五時三〇分から寮広間において院の看護婦(他に出席予定者があつたとしても、団の女子職員二、三名)の間で「職場の諸問題を話し合う会合」を開くことを計画し、前日の三月五日自治会長高橋洋子にその承諾を求めたところ、同女から総婦長にことわつておくようにとの回答を受けたが、組合としては、総婦長の許可まで受ける筋合はないと考えて、寮玄関に右会合開催のビラを掲示した。ところが、右掲示により上記組合の計画を知つた総婦長は、会合当日午前組合に対しその禁止を通告した。右禁止の理由は、寮は看護婦全員の休養、私生活の場所であつて組合員だけのものではないから、組合活動に使用させることはできない、というにあつた。組合は右通告に納得せず、申請人外川らが直ちに総婦長と面談し、自治会の承諾を得た以上さらに総婦長の許可を受ける必要がないことや右会合は看護婦の集まりであつて、在寮者の休養、安眠等を害するものではないと主張してその飜意を求めたが、総婦長は前記態度を改めなかつた。

5 同日右会合開始の定刻頃申請人外川、同青木、木村美千代(いずれも院看護婦)が寮に赴き、帰寮した総婦長を訪ねてさらに交渉しようとしたところ、総婦長は同女らを寮内に立入らせまいとして自ら寮新館入口仕切扉附近まで出て同女らと応接を始めたが、申請人隈本(栄養士)、大阪労組役員越智淑江(看護婦)が寮旧館玄関の方から同所に近づいてくるのを認めるや、申請人外川らに向い「部外者が入るようでは話し合つても無駄でしよう。」と言いすてて新館の方へ歩き去り、右仕切扉(見透し不能)を閉じるなり右手で鍵を廻して施錠しようとした。申請人外川、同青木はなお交渉を続けようと総婦長を追い、外側からノブを握り扉を開けようとして引張つたところ、総婦長は、扉にかけた右手を扉ごと引かれ、その際右手甲に全治二週間の裂創を負つた。

6 上記の組合が計画した会合は、寮の娯楽室において午後六時頃から同七時三〇分頃まで行われ、これには、申請人外川、同青木、同隈本、前記越智も参加したが、右隈本、越智のほか院看護婦以外の者は出席しなかつた。

7 なお、院は、総婦長の右受傷につき申請人外川、同隈本を傷害で告訴し、警察の取調もなされたが、刑事事件として取り上げられなかつた。

(二)  右事実に基く判断

1 使用者は、事業附属寄宿舎の施設につき物的な管理権を有するほか、寄宿舎内における労働者の食事、起居等の生活の規制に関与することも許されるところである(労働基準法九五条一項各号)。しかしながら、事業附属寄宿舎は、それが究極的には企業利益に奉仕することを期待して設けられるものであるとしても、その本来の目的は労働者に私生活の場としての住居を提供するにあり、私生活の自由は寄宿労働者についても濫りに侵されるべきものでないことを考えると、その私生活に対する使用者の関与は、寄宿舎における労働者の共同生活の維持、向上に必要な限度においてのみ許されるものと解するのが相当である。しかも、労働基準法によれば建設物・設備の管理以外の事項を寄宿舎規則で定めるについては寄宿労働者側の同意を要し(同法九五条二項)、同規則は使用者もこれを遵守すべきもの(同条四項)とされているところからみて、寄宿労働者の生活についてはその自由、自治が尊重され、使用者の施設管理権の行使も同規則上の明確な根拠に従つて慎重になされるべきものであつて、いやしくも右管理権に名を藉りて寄宿労働者の自由、自治が侵されることとなつてはならない。

2 前出寄宿舎規則の規定に徴すれば、上記自治会長の組合に対する回答の趣旨は院側の寮管理権行使の場合を留保して使用を許可したものとみるべく総婦長の組合に対する前記集会禁止の通告も右管理権に基いてなされたものと解されるところ、右禁止の理由は、看護婦全員の休養、私生活の場所である寮を組合活動に使用させることはできない、というにある。しかしながら、労働者がその私生活のための時間と場所をいかなる目的に使用するかは本来自由であり、前記1に説示したところからしても、単に組合活動のためというだけでは、寮の使用を禁止する正当な理由にはなり得ない。もつとも、会合の目的自体が違法のものであつたり、会合の時刻、参会者の数、範囲(本件の場合参会者の主体が院の職員かどうか、女性かどうか等)等からみて在寮者の私生活の自由を侵害する等寮設置の本旨とてい触することが明らかな場合には、なお広い意味における寮の管理に関する事項として自治委員会の許可にもかかわらず、院がこれに介入することを妨げないものと解されるけれども、前認定の事実によれば、上記組合の会合が右の場合に該当するものとは認められない。そうだとすれば、総婦長の右会合の禁止は、管理上の正当な理由を欠くのみならず、むしろ組合活動に対する故なき干渉と目さるべきものである。

3 上述したところと院における従来の寮利用の実態とに鑑みれば、組合側が前記総婦長の態度に強く反撥し、会合の開始に先立ち、寮に総婦長を訪ねて執拗に交渉を求めようとしたのも無理からぬところであつて、突然交渉を打切つて立去ろうとした総婦長を追つて申請人外川、青木が仕切扉を開けようとした行為自体を強く責めることはできない。その際総婦長が閉じた扉に施錠までしようとして右手をかけているとは右両名においてとうていこれを予測し得たものとは思われないから、総婦長の前記受傷の結果を右両名の責任に帰することは失当である。

4 結局、右会合の開催、総婦長の受傷については、組合も申請人らもなんら責任を負うべきいわれはない。

六、「夜間病棟内における不法徘徊」について

(一)  争のない事実、成立に争のない甲第二六号証、乙第四七号証の一、二、第四八号証、第七七号証、第七八号証の三ないし九、星野証言により成立の認められる乙第四九号証の一ないし五、写真付記部分につき同証言により成立の認められる乙第六四号証の二五、星野、田中の各証言、申請人関の供述に弁論の全趣旨を総合すれば、次のとおり認められる。

1 院は三月一二日全職員に対し勤務者以外の勤務時間後の院建物ことに病棟内への立入禁止を通達したが、組合はその後も院内パトロール(組合の連絡事項伝達、オルグ、点検活動のため組合員の勤務室を廻ること)の実施を指令し、右指令により、被申請人主張(ハ)、(ホ)、(ヘ)、(ト)の行為(勤務室滞留は短時間である。)がなされた。

2 被申請人主張(イ)の行為は疎明がなく、同(ロ)の行為はそれが病棟に及んだ事実についての疎明がなく、同(ニ)の実行されたのは夜間静ひつを要求される時刻といい難く、同(チ)の行為はいわゆる院内パトロールではなく、それが組合の指令に基いてなされたことについての疎明もない。

3 病棟看護婦の夜勤体制は、各病棟(入院患者数約二〇ないし四〇)とも、準夜勤(午後四時から午前〇時四五分)深夜勤(午前〇時から午前八時四五分まで)各一、二名ずつで、午後一〇時以降の勤務は手待時間がその殆どを占める。なお、病棟の消灯時刻は、午後八時ないし九時頃である。

(二)  右事実に基く判断

1 病院の病棟がとくに夜間(患者の消灯時刻以後)その静ひつを強く要求されるものであることは言をまたないところであるから、当該夜勤勤務員のほかはたとえ従業員でも夜間みだりに病棟に立入ることを禁ずることは、病院本来の職責遂行上その必要性を有するものといわなければならない。

2 組合の維持運営のため日常的オルグ活動、常時的点検活動が極めて重要であり、右活動を組合員の各職場で行うことが有効適切な方法であることは申請人ら主張のとおりであるけれども、右1に述べた病棟の特殊事情を考えると、夜間の病棟における右のような組合活動は、特段の事情がない限り許されないものと解されるところ、本件においては、ことさらに夜間病棟において右活動を行わなければならないとする組合側の緊急事情の存在が認められないので、(一)1に認定したパトロール行為は、組合活動として正当性の範囲を越えるものといわなければならない。

ただ、右パトロール行為が喧騒にわたつて現実に、患者の安静を害したり、あるいは夜勤者の意に反して勤務室に入室したり、長時間在室する等によつて実際に看護業務を阻害した事実も窺われないので、その情状においてとくに重大なものとはいい難い。

3 組合の右パトロール実施の方針の決定については少くとも組合三役は推進的に関与しているものと推認されるから、実行者である申請人外川、同青木、同隈本のほか、申請人関、同小野瀬、同岸も右パトロール行為につき企画、指導の責任を免れない。

七、「抜打ち給食スト事件」について

(一)  争のない事実、前出乙第六八号証、弁論の全趣旨により成立の認められる乙第八六号証、中曾根、星野、森、島津、遠藤の各証言、申請人関、隈本の各供述に弁論の全趣旨を総合すれば、次のとおり認められる。

1 三月二一日組合は、午前四時三〇分頃申請人関から星野局長宅へ電話で本日午前五時から八時三〇分まで給食課員がストを行う旨通告し、当日朝の同課当直勤務者六名中炊事員(組合員)四名が右時刻職場を離脱し就労しなかつた。

院は、右スト通告を受けて緊急手配の結果、副院長以下非組合員八名が出勤し、当直栄養士の指揮下に右四名の担当すべき業務を遂行し、通常時に比し遅れることなく病棟への運搬を了し、全患者への朝食給食を全うした。

2 四月二日組合は、1同様の電話通告をもつて炊事員三名をストに参加させたが、院側は1同様の措置により通常時に比し遅れることなく全患者への朝食給食を了した。

3 給食課炊事員は、入院患者の給食に関し栄養士の指示(特別調理食については個別詳細に行われる。)どおり盛付から配膳車による各病棟への運搬までのいわば機械的業務(経験がなくてもある程度可能な職務)を担当する。

(二)  右事実に基く判断

1 被申請人は、病院における給食部門のストは本質的に許されないものと主張するけれども、給食部門であるというだけでそれが当然許されないものと解するのは相当でない。すなわち、給食部門中における当該スト業務の内容、その停廃が給食業務全般に支障を及ぼす程度、代替要員補充の難易等の具体的事情を考慮したうえ、当該ストが患者の病状に顕著な悪影響を及ぼし、その生命、身体の安全を脅かすに至る客観的危険性が認められるべき場合において、はじめてそのストは違法と評価せらるべきものである(当裁判所昭和三六年(ヨ)第二一四五号事件昭和四〇年一一月一〇日判決理由第二の一参照。)。

また、当該ストがその開始直前に使用者側に通告されたという点は、前記考慮すべき具体的事情の一つといえるけれども、右の点のみをもつて当然にそのストを違法視することはできない(当裁判所昭和四〇年(ヨ)第二一七四号事件昭和四一年二月二六日決定理由第三の二2(一)(2)ハ参照)。

2 右の見地から前記給食課員のストの実態をみると、朝食時のみについて三、四名分の比較的単純容易な作業労働を欠く結果をもたらしたにとどまり、院の規模からして即座に右の程度の代替要員を補充することに格別の困難はなかつたものと認められ、1に述べるような客観的危険性を未だ肯定せしめるに足りないから、右ストはなお正当な争議行為の範囲内のものというを妨げない。

3 したがつて、右ストに関して組合及び申請人らに違法の責を問うことはできない。

八、「違法ピケによる入場阻止事件」について

(一)  争のない事実、前出乙第七六号証、成立に争のない甲第二九号証、乙第五二号証ないし第五六号証、第八九号証、第九一号証、院の略図であることに争のない甲第九号証、写真付記部分につき弁論の全趣旨により成立の認められる甲第二七号証の一一ないし一四、一七、写真付記部分につき星野証言により成立の認められる乙第六四号証の二六ないし五二、弁論の全趣旨により成立の認められる甲第五号証の一、二、乙第五七号証、星野、森、石垣、田中各証言、申請人関、外川、岸の各供述、弁論の全趣旨を総合すれば、次のとおり認められる。

1 三月二四日、四月一〇日、同月一九日に組合は、半日(午前)又は一日のストを実施した。右三波ストとも、保安協定その他争議に関する協定は締結されなかつた。

2 院は、右各スト時においても通常どおり診療業務を行う方針を樹て、そのためスト当日には非組合員全員を出勤させ、団本部職員の来援を求めるほか、組合員中看護婦等二〇余名を院長の命令をもつて保安要員に指名し、スト中も院長の指揮下において就労するよう命じ、かつ、非組合員の多数は組合の妨害があつても正面玄関から入構する。十数名の非組合員は前日から院建物内に宿泊する、スト当日患者の来院する時刻頃にはけんすい幕、マイク等を用いて「平常通り診療を行う。」旨を明らかにする等の対策を決め、三波とも右のとおりこれを実施した。

3 一方、組合は、三波とも申請人関ら七名を含む役員(ただし、第一波につき申請人外川は関与していない。また、組織部長渋谷善雄は第一波につき中心的役員として企画決定に関与しているが、その後執行委員を辞し、第二、三波には関与していない。)を中心として協議の末、スト当日は団結の示威、外来患者へのアツピール等のため正面玄関に午前八時頃から一一時頃まで(院の始業時刻から午前の外来受付終了時刻頃まで。なお、診察開始時刻は午前九時である。)の間ピケを張つて院側就労者の同玄関からの入構は極力阻止すること、外来患者に対してはストへの協力を求めて、重患、急患以外はできる限り当日の受診を避けてもらい、受診する場合にも原則として玄関以外の出入口を利用してもらうこと、他の出入口には組合側ピケ要員を配置しないこと等の基本方針を決定し、スト実施の当日には、申請人関ら七名を含む組合役員らはピケ現場にあつて、臨機協議のうえ、前記方針に従いピケを指導し、自らもこれを実行した。

4 三月二四日(第一波)のストに際しては、組合側は午前八時頃から組合員、支援団体員合計約一〇〇名が正面玄関外側に集まり、同所に「本日スト決行中、急患の外診療いたしません。」との掲示をするとともに、二、三列の横隊を作り労働歌を高唱したりして、通行阻止の気勢を示していた。

これに対して院側は、同時刻頃から職制らの一隊を同玄関内側に待機させるとともに、森副院長、星野局長が約五、六十名の非組合員を引率してピケ隊と正面から向い合い、右両名がピケ隊に向つてメガホンで「就労する非組合員を入れて下さい。」等と連呼したりした。しかし、ピケ隊は同玄関全面を塞ぎ「ワツシヨイ」の掛声や喊声を挙げて右呼びかけに応ずる気配もなく、さらに同局長から申請人岸に対し正面玄関のピケを解いて非組合員を入れるよう交渉したが拒否された。そこで院側は、午前八時三〇分頃前記五、六十名の非組合員が一団となつてピケ隊に突込み入構を強行しようと試みたが、ピケ隊に押し戻され、暫時の後右一団は再びピケ隊に体当りして強行突破をはかつたところ、ピケ隊もこれに抵抗したため、一時は双方入乱れて押し合い、揉み合いの混乱状態を呈した。しかし、午前八時四〇分頃にはピケラインが解けて、非組合員らは正面玄関から入構した。

その間、建物内部にいた院側職員が玄関のガラス扉を内側から開こうとした際、組合側もこれを阻止しようとして、右扉の内外から互に揉み合つたため、ガラスが割れ、その破片により院側の加藤主任は左前腕等に切創を負つた。

5 四月一〇日、一九日(第二、三波)のストにおけるピケ及びこれに伴う正面玄関付近の混乱状況も、前記加藤受傷の点及び次に述べる点を除いて、ほぼ第一波の場合と同様である。

四月一〇日には、正面玄関前の院側人員は約四〇名、組合側も約六〇名にとどまつたが、院側は午前八時三〇分頃から四、五回にわたりピケ隊に突入を試みて前同様の混乱をくり返したあげく、午前九時過ようやくピケが解けて同玄関から入構した。その間玄関内側の院側職員がガラス扉を圧し開けようとするのを組合側は、外側から把手に棒をさしこむ等の方法で妨げた。

四月一九日には、組合ピケ隊は約九〇名、院側は午前八時頃玄関前に来集し、午前八時三〇分頃から、ピケ隊への突入をくり返し、午前九時三〇分頃ようやくピケが解けて入構することができた。

その間組合側は玄関ガラス扉の把手に木材、箒をさしこんだり、繩、針金で縛る等の方法で開扉を妨げ、また、院の要請により警察官が現場に来て組合側にピケを解くよう再三警告した。

6 右三波にわたるストの前後頃、組合は、組織部長渋谷はじめ三名の執行委員の辞任脱落をみたほか、相当数に上る組合員が脱退した。

7 右スト当時における平均外来患者数は平日九〇〇前後、土曜日七〇〇余であるが、スト当日は、三月二四日(土曜)約五〇〇、四月一〇日(平日・雨)約四〇〇、同月一九日(平日)七〇〇弱であつた。

8 院の正面玄関は都電の大久保通りに面し、内側は案内所、診療各科受付、待合所等が在る本館一階中央ホールに直結しており、主として外来患者の利用に供せられ、平常午前八時三〇分頃から午後四時頃まで開かれていた。他に外部から院建物内に至る出入口としては、東玄関(別称・職員玄関)、新館玄関、本館裏口その他数ケ所が存在し、通常東玄関は職員用の出入口であつて、午後四時以後は新館玄関とともに面会人の出入口にも利用され、本館裏口は一部従業員や出入業者の利用に供されていた。

院建物内の通路は歩行困難な患者にも支障のないよう階段でなく傾斜路によつて各所と往来できる構造となつている。東玄関、新館玄関、本館裏口を利用した場合、各入口から本館一階中央ホールまでの距離は、それぞれ約四〇米、一〇〇米、六〇米であるが、都電通り等にもこれら出入口の位置が掲示され、自動車を各出入口に横付けすることもでき、患者の通行口として利用することに格段の支障はない。

(二)  右事実に基く判断

1 およそストライキに随伴するピケの目的は、組合の統制確保、組合員の志気昂揚、使用者に対する団結の誇示、非組合員の就労防止、関係者に対するストへの協力要請、公衆に対する争議目的の宣伝等必ずしも一様ではなく、その方法も、単に文書、言論等によるいわゆる平和的な説得に限らず、事情によつては集団の示威による圧力の手段を講ずることも一概に不法とはいえないけれども、それがいやしくも暴力の行使を伴うときは、いかなる場合においても、これを正当な争議行為ということはできない(労働組合法一条二項但書)。

各波ストにおいてピケ隊が非組合員の正面玄関よりの院内入構を阻止した上記(一)4、5の行動が右にいう暴力の行使を伴うものであることは明らかであるから、上記各波ストにおける組合のピケ活動は、この点において違法な争議行為といわなければならない。

2 第二、三波ストの際には従業員用の出入口である東玄関の扉も、組合側が外側から針金で把手を縛つたことは申請人らの自認するところであるが、同所には組合側ピケ要員が配置されていた形跡もないので、院側は容易にこれを除去し、同玄関から非組合員を入構させることができたものと推認されるのみならず、他の出入口からも自由に入構させることができた筈である。にも拘らず院側において敢て実力によりピケ隊を排除して正面玄関から非組合員を入構させようと試みた理由については、次記3のとおり十分納得できるものがなく、前記ピケ隊の暴力行使は、多分に右院側の攻撃的態度に挑発された結果とみることができる。

3 被申請人は、実力によつても、非組合員らを正面玄関から入構させようとした理由は外来患者の同所から入構を確保する必要のためであると主張する。けれども、(1)前記院建物の構造からすれば、他の出入口を患者の利用に供しても著しい支障不便はなく、外来患者のため敢て正面玄関からの入構を固執するまでの必要はなかつたものと考えられる。(2)ピケ隊は外来者一般に対し急患以外は受診しないようストへの協力を呼びかけていたが、外来患者が他の入口から入構するのまで阻止し又は阻止しようとした事実は認められない。(3)さらに院側において特定の患者を誘導して正面玄関から入構させようとし、あるいは外来患者が自発的に正面玄関から入構しようとするのをピケ隊が阻止した具体的事実も窺われない。(4)むしろ、院側において非組合員らを他の入口から入構させ、外来患者も他の入口に誘導するよう努めたならば、患者に多大の迷惑をかけることなく、診療業務を遂行できたのではないかとも推察される。(5)その他外来患者のため正面玄関のピケを強いて排除することを不可欠とする格別の事情を窺わせる資料はない。

結局、院側の上記実力行動は、徒らに事を逸つてかえつて事態の混乱を繁くしたものといつてよい。

4 組合は右ストの前後において相当数の組合員を失つたけれども、前記正面玄関よりする入構阻止のほか、脱落者をも含めて非組合員の就労自体を妨げた事実は窺われない。

5 健康の保持、回復を任意の医療機関の医療手段に求めることは、各個人の幸福追求の基本的自由に属するものとして格段の尊重を要するものであるから、患者を対象とするピケ活動については、原則としていわゆる平和的説得の限度を越えることは許されない。前認定にかかるピケ隊が正面玄関前に蝟集し、数列の横隊を組んで気勢をあげ、玄関脇に急患のほか診療しない旨を掲示した行動、ことにピケ隊が非組合員らと揉み合つてその入構を阻止した事態は、それだけで、これを傍見した患者に対し正面玄関からに限らず全般に院内入構の意志を抑圧する効果をもたらすものといえるから、ピケ活動として許容の範囲を越えたものというを妨げない。

しかしながら、上記3に掲げた(2)、(3)の事情、右揉み合いの事態は院側の行動から誘発されたものであること、個々の患者に対し執拗な説得や粗暴な言動に出たり、患者との間にトラブルを生じた事実は窺われないこと、スト当日における前記受診患者数やピケの継続時間から推して、当日現実に受診を断念した外来患者は殆んどなかつたものとみられること等に徴すれば、患者に対する関係において組合側に帰せらるべき違法の情状は軽微といえる。

6 スト当日における前記ピケ隊の違法活動について申請人関ら七名は、これを企画、指導、実行(但し、第一波における指導、実行につき申請人外川を除く。)した責任を免れないが、非組合員に対する暴力行使の点については院側にも一半の責があり、患者に対する示威抑圧の点については5に述べた事情により、いずれも情状酌量の余地がある。

九(一)  院の就業規則には、職員の服務及び懲戒に関し三条ないし三条の三、七五条一、三、一二、一三号、七六条として双方主張のとおりの内容の規定が存すること、右規定のうち、三条の二、三は昭和三七年三月一日の改訂により追加されたものであり、その他は昭和二八年一二月の制定に係るものであることは、当事者間に争がない。

(二)  申請人らは、これら就業規則の規定は争議行為である上記一ないし八の行動には本来その適用がないと主張する。

就業規則は本来業務の正常な運営下における個別労働関係の規律を趣旨としたものであるから、業務運営の阻害を本質とする争議行為はもとより労使の対抗関係を前提とする組合活動一般についても、それらが正当な組合活動の範囲を逸脱したという理由だけで、これに対し当然に就業規則の全面的適用があるものと解することは相当でない。しかしながら、申請人らが主張するようにおよそ争議行為についてはその適否を問わず就業規則の適用が排除されるというのもまた相当ではなく、就業規則の当該規定が専ら就業を前提とした規律を定めるものであるかどうか、争議行為における当該個人の行動が形式的な就業規律違反の枠をこえて広く企業運営上なお実質的に違法と評価するに値するものであるかどうか等の基準によつて、その具体的適用の範囲が定まるものと解するのが相当である。

これを本件についてみれば、叙上において違法な組合活動として申請人らの責に帰すべきものと判示した行為については、なお就業規則上の懲戒責任を免れないけれども、被申請人援用の前記就業規則の規定中専ら正常な労働関係における就業ないしその規律違反を前提としたものと解される三条ないし三条の三、七五条一三号の規定は、申請人らの上記行為について適用の余地はないものというべきである。

(三)  さらに申請人らは、組合の活動について個々の組合員に懲戒責任を問うことはできないと主張するが、一般に団体の違法行為については、単に団体の行為としてのみならず右行為に関与した個々の団体構成員の行為としても違法と評価され、その個人責任を免れないとするのが広く法の建前とするところであるから、前記違法と認定された組合活動についても、申請人らが企画、指導、実行等の行為をもつて右活動に関与している限り、それらの行為について個人責任を問うことは可能である。

(四)  そこで、以上の前提に立つて前認定の申請人関ら七名の各行為につき就業規則を適用すると、

1 岸の一の行為(脅迫的発言)、関、外川、岸、青木、吉岡の二の行為(関、岸の脅迫的発言、外川、青木、吉岡のこれに対する附和助勢、関の監禁的行動に対する認容)はいずれも就業規則七五条三号前段に、

2 七名全員の四の行為(企画、指導、実行)はいずれも同条一号に、

3 吉岡を除く六名の六の行為(実行もしくは企画、指導)は同条三号前段に、

4 七名全員の八の行為(企画、指導、実行)はいずれも同条一号、三号前段に、

各該当するが、その他の行為は就業規則上の懲戒責任に該当するものとはいえない。

(五)  なお、右懲戒該当行為について申請人関ら七名の各個の情状程度を考えてみると、

1 関は二の脅迫的言動の実行者、監禁的行動の認容者、岸は一、二の各脅迫的言動の実行者であるばかりでなく、関は組合委員長、岸は同書記長として、四の企画、指導、実行行為、六、八の企画、指導行為につき、いずれもその推進者として中心的役割を演じたものと推認されるから、その情状において軽微とはいい難い。

2 その余の申請人ら五名については、その全員が四、八、吉岡を除く四名が六の実行もしくは企画、指導行為にそれぞれ関与しているほか、外川、青木、吉岡の三名は二の付和助勢者でもあるが、その情状程度は、上記関、岸の両名に比すれば、かなり軽微なものと認められる。

3 なお、申請人関ら七名は、吉岡が後記(第三の二(四)1(6))のとおり出勤停止処分を受けているほか、いずれも従前懲戒処分を受けた事実は窺われない。

第三、申請人関ら七名に対する不当労働行為の成否について

一、組合活動の経緯

争のない事実、第二の一ないし八に認定した事実、前出甲第三号証、第二五号証、乙第六六号証、成立に争のない甲第二四号証、第二八号証、弁論の全趣旨により成立の認められる甲第四号証の一、二、第八号証の二、星野、木村の各証言、申請人関、岸、高橋の各供述に弁論の全趣旨を総合すれば、次のとおり認められる。

(一)  組合は、昭和三四年四月結成から昭和三七年三月初頃に至るまで医師を除いた院の全従業員約三五〇名のうち二〇〇名を越える組合員を擁し、とくに看護部門、給食課、医事課においては、婦長、課長等の職制を除く殆んど全員を組織していた。

(二)  申請人関ら七名は組合においてその主張のとおりの地位、経歴を有し、いずれも組合役員として、本件争議開始(昭和三六年一〇月)後の組合活動についてもその指導的地位にあつた。

(三)  組合は、結成以来本件争議に至るまでの間、団側に対し賃金、勤務時間その他労働条件全般にわたる要求をくり返して団交を重ね、数次にわたりストその他の争議行為を実施したほか、組合組織の強力な職場にあつては所属長と交渉して職場固有の労働条件に関する要求を院側に容れさせたことも少くなかつた。

しかし、その間における労使関係は必ずしも円滑とはいえず、ことに争議時には団交の方法、就業時間内や院内の組合活動、双方の文書活動等をめぐつてしばしば紛議を生じた。

(四)  組合は、本件争議開始後、一二月中旬までに三波にわたるストを実施したほか、翌三七年四月中旬までの間に前記第二に述べたような組合活動を行つた。この間同年二月一五日院側において就業規則改訂、心得制定の方針を明らかにするに及んで労使の対立関係は一層激化するに至つたが、三月二四日の第一波ストと前後して組合執行委員(一五名)中それまで活発な組合活動を続けていた組織部長渋谷善雄を始め永井、古閑、一条、清水ら五名が執行委員を辞して組合から脱退し、組合の拠点ともみられた医事課、給食課においても三月下旬から四月上旬にかけ相次いで組合脱退者が出る等その頃全体として組合員数は激減した。

二、団側の組合に対する態度

(一)  第二の一に判示したところに従えば、一二月四日、五日の三協の団交申入に対して団側が示した態度は、十分な理由のない団交の回避ないし拒否とみるべきものである。

(二)  団において前掲院就業規則の一部改訂、心得の制定を実施した目的が組合活動のゆきすぎを規制するにあつたことは被申請人の自認するところであるが、その規定内容及び実施時期からすれば、団の当面の意図が当時における組合の争議活動を抑制するにあつたことも明らかである。右規則改訂等に関して、組合は、組合活動の規制は労働協約(成立に争のない乙第一八号証の一、二によれば、組合は同月二四日協約案を団に提出している。)によるべきことを主張して同月二二日以降団交を要求していたが、団がこれを拒否したことは、当事者間に争がない。

前出乙第六六号証、成立に争のない乙第一九号証、星野証言により成立の認められる乙第一四号証の一に弁論の全趣旨を総合すれば、団においては、右規則改訂等の内容は、労使関係の当然の事理を明らかにしたに過ぎないとして、当初から組合の意見に考慮を払いあるいは団交の要求に応ずる意思はなく、規則改訂につき組合の意見を徴する形式をとつたのは単に労働基準法所定の手続要件を整えるために過ぎなかつたものと推認されるところ、右規則改訂、心得の規定内容と組合が具体的対案(労働協約案)を示して団交を求めた態度に徴すれば、団は、組合の団交要求を拒否するについて、正当な理由を欠いたものということができる。

(三)  第二の五に判示したところに従えば、寮における組合集会の禁止は、院の組合活動に対する故なき干渉と認められる。

(四)  医事課配転問題

1 争のない事実、前出甲第三号証、乙第六六号証、成立に争のない甲第二号証、第二二号証、乙第四号証、第二四号証の一ないし三、第二五号証の一ないし三、第七四号証、星野証言により成立の認められる乙第二二号証の一、二、同証言により請求書又は関係書類の書式と認められる乙第二三号証の一ないし七、弁論の全趣旨により成立の認められる甲第五号証の四、五、星野、石井の各証言、申請人関、吉岡の各供述に弁論の全趣旨を総合すれば、次のとおり認められる。

(1) 院事務局職員の労働時間は、就業規則上、平日午前八時三〇分から午後五時一五分まで(休憩時間を除き実働・日八時間、週四八時間)とされていたが、労働協約により土曜日は午後〇時三〇分まで(実働・週四四時間)と改められている。

(2) 院事務局医事課の業務のうち、社会保険診療報酬の請求事務については、同報酬が院収入の大半を占めるため、その遅延が直ちに院の経理、運営に重大な支障を与えることとなる。ところで、毎月分の報酬請求書提出期限は実務上翌月八日までとされていたが、右請求書作成の資料となる記録は診療時間中各科で使用する必要があつて医事課ではこれを利用できないため、同課においては課員(その大半は女子職員)の合意のもとに、毎月末から翌月七日頃までの約一〇日間概ね平日は午後八時三〇分まで(約三時間)土曜日は午後五時三〇分まで(約四時間)時間外労働を行うことによつて、右請求書作成事務を処理するのを例としてきた。

(3) 院では、時間外労働に関する三六協定が締結されたことはなく、昭和三五年二月以降組合は院の三六協定締結の申入を拒否し続けている。しかし医事課の前記時間外労働については、組合として、同課に申請人岸、同吉岡らの多くの活動家を擁していたにもかかわらず、これまで抗議を申入れたことはないし、同課の組合員らも異議なく右時間外労働に従事してきた。

(4) 三月六日夕刻同課において時間外勤務中院側で同課内に貼付した組合ビラを剥がしたので、同課の組合員全員が残業を中止した。右組合員らは翌日定時終了後同課長石井博に右ビラ剥がしにつき抗議し今後についての言質を求めたが拒まれたので、以後時間外勤務を拒否する旨を告げてこれを実行した。同月九日星野局長が同課全員を集めて説得を試みたが、翌日申請人吉岡は、同課組合員を代表して、同課長に時間外勤務拒否を重ねて通告した。

(5) 院は、当月分につき請求書提出先の基金に期限の猶予を求め、団本部職員等の応援を得て三月一一日漸く二月分の請求書作成を了えることができたが、翌月以降も同課組合員らの時間外勤務に期待できず請求書作成事務に支障を来す虞があることを慮つて、三月二〇日申請人ら主張(請求原因四(二)3(3))のとおり同課組合員六名の配置換を発令した(後任者六名―うち女子三名―はいずれも非組合である。)。

(6) 配置換を命ぜられた右六名中には申請人吉岡を始め潤間、平尾らの積極的な組合活動家を含み、かつ配転先の外来、売店は従来から事務職員の希望しない職場、会計課は組合活動の低調な職場であつたため、組合は医事課における組合活動の抑圧を図つたものとして右配転に反対し、申請人吉岡、潤間、平尾は組合の指令に従い引続き医事課に出頭していたところ、団は申請人ら主張のとおり右三名に対し命令拒否を理由に一週間の出勤停止処分を科した。

2 医事課における右時間外労働については、三六協定その他労働基準法上これを許容すべき根拠となるような事情も窺われないから、組合員らが右労働を拒否したことは、格別責められるべきいわれがない。

医事課における請求書作成事務の期限厳守が院にとつて重要であり、そのため時間外労働を必要とする事情も一応了解できるが、その故に労働基準法に反して従業員に時間外労働を強いることはもとより許されるところではなく、前認定の経緯に徴すれば、院の申請人吉岡ら組合員六名に対する前記配転命令及びこれを拒否した申請人吉岡ほか二名に対する出勤停止処分は、法を無視して安易に時間外労働を得るために、組合の方針に従いこれに反対する組合員中の積極分子を同課から排除する意図に出たものと推認するのが相当であるから、正当な組合活動の故をもつてなされた不利益処分と目さるべきものである。

(五)  前出甲第二九号証、申請人隈本の供述により成立の認められる甲第一七号証の一、申請人隈本の供述によれば、三月中旬給食課炊事員(臨時職員)小松広正が組合に加入したところ、当時院側において同人の父、姉、叔母等を介して同人に組合脱退を勧誘した事実が認められる。

団が申請人高橋彬を解雇した決定的理由がその組合活動にあつたことは、後記判示のとおりである。

(六)  前出甲第四号証の一、二、乙第六六号証、成立に争のない乙第五八号証、第五九号証の八ないし一三、第六〇号証、中曾根、島津の各証言、申請人岸の供述に弁論の全趣旨を総合すれば、院は四月二〇日申請人関ら七名の解雇と同時に本件争議に関し、島津宏之(給食課職場委員・斗争委員)、中曾根正治(同)、田中昭(執行委員)、木村美千代(斗争委員)、潤間貴代子(医事課職場委員・斗争委員)、平尾禎敏(斗争委員)を出勤停止あるいは昇給停止処分に付したこと、院の従業員中本件争議に関し処分を受けたのは右一三名にとどまること、右一三名の被処分者中には、当時一〇名の執行委員中谷口邦子を除く全員を含む一方において、第一波スト前後に執行委員を辞任して組合を脱退した前記渋谷善雄ら(一(四))はいずれもこれに含まれていないことが認められる。ことに、右渋谷は、争議の殆んど全期間中組織部長として組合活動の中心的地位を占め、被申請人が申請人関ら七名の解雇理由において違法な組合活動と指摘する事項中、院事務局長に対する申請人岸の脅迫的言動については助勢的発言をもつて、また保安要員の引上や三月五日のビラ貼り行為には自ら関与しているほか、第一波スト(三月二四日)のピケの企画決定にも参加していることは前認定(第二の二(一)5、三(一)2、四(一)1、八(一)3)のとおりである。右渋谷の組合における地位及び上記言動は院においても当然知つていたものと認められ、被申請人の観点からすればその責任は他の被処分者に比して軽微とはいえないと思われるにもかかわらず、同人を処分の対象から除外している点については、他に格別首肯し得る事情も窺われないところからしてその理由は同人が組合を離脱した点にあるものと推認され、同じ頃組合を脱退した他の執行委員がいずれも処分されていない点も、それを裏付けるものといえる。

三、叙上一、二にみた団及び院における労使関係の実情と第二に判示した諸点、ことに申請人関ら七名の責任、情状の軽重とを彼此考え合わせたうえ、同申請人らの解雇に関する不当労働行為の成否については、結局次のとおり判断する。

(一)  院における労使関係は従前から円滑ではなかつたところ、本件争議に至つて一層険悪化し、団側においてはしばしば度を越えて組合の争議活動に干渉を加え、その団交要求を故なく回避、拒否するなど、組合活動を嫌悪し、組合、ことにその中心分子である申請人ら組合幹部に対して強い不信の念と反情を抱いていたことは、明らかといえる。

(二)  他方、組合側においても、本件争議中の組合活動に正当な範囲を逸脱するものがあつたことは否定し得ず、右活動に参加した組合員の行為が就業規則に照らし処断されることは一応やむを得ないところであり、ことに申請人関、岸両名の非違行為についてはその責任の程度、情状において軽微とはいえず、右両名を解雇することは院の経営秩序維持、業務遂行上合理的理由を具備するものと考えられるから、これをもつて直ちに正当な組合活動を理由としあるいは組合に対する支配介入の意図に出た不当労働行為と断ずることはできない。

(三)  しかしながら、その他の申請人ら五名については、その非違行為の責任、情状の程度において前両名に比しかなり軽微といえるのみならず、団側の見地からすれば右申請人らとその責任、情状において格別の差はないと思われる前記渋谷が何らの処分を受けていないのは組合を脱退したためと推測されること等をも考慮すると、被申請人の右申請人ら五名に対する解雇は、本件争議を機として組合活動の中心分子とみられる幹部を一挙に院の組織外に排除することにより、組合活動を抑圧しようとする意図に出たものと認めるのが相当であるから、労働組合法七条一号、三号の不当労働行為に該当するものというべきである。

第四、申請人高橋の解雇について

一、争のない事実、前出甲第三号証、第八号証の二、第二四号証、成立に争のない甲第一三号証の三、第一四号証、乙第六一号証の一、二、第六二号証の一ないし三、第七一号証、第七二号証、第七五号証、原本の存在及び成立に争のない甲第一六号証の一ないし五、写真付記部分につき弁論の全趣旨により成立の認められる甲第二七号証の一八、弁論の全趣旨により成立の認められる甲第八号証の一、第一五号証の一、二、第一七号証の二、乙第六三号証、第七三号証、中曾根、島津、遠藤(一部)、木村の各証言、申請人隈本、高橋の各供述に弁論の全趣旨を総合すれば、次のとおり認められる。

(一)  院の従業員には、正職員、臨時職員、嘱託等の区別がある。

正職員は、院の庶務課において本人から身上調書等所定の書類を徴し、事務局長の面接、身許調査その他一定の手続を経たうえ、院長名の辞令をもつて採用するものであり、その員数は院が予め年度毎に定めた各部門、職種別の定員の枠内に限られ、その給与もすべて月給制で「厚生団職員俸給表」の定めるところによつていた。

一方、臨時職員とは、将来正職員となることが一応予定されている見習職員、試用職員、定員枠外の職員等から、一時的な労務補充要員、季節的傭員、さらには日傭、パートタイマーまでを含む従業員の総称であつて、これらの職員については、当該課長等において選考のうえその採否を決する権限が与えられ、その給与はすべて日給制で、その員数、給与額は庶務課長と当該課長等との協議により決定され、院内部の通常の事務処理としては、日傭、パートタイマーを除き、期間を二カ月とする臨時職員採用の禀議書を作成し院長の決裁を得て雇入れるのであるが、その際契約書を作成する等によつて採用者に雇傭期間を明示することもせず、右期間満了後引続き雇傭する場合にも特段の手続をとらないのが例であつた。

もつとも、団は昭和三一年七月各院長あて理事長通牒をもつて、臨時職員は六ケ月の期間を超えて引続き雇傭してはならないこと、臨時職員には日給以外の諸手当を支給せず、社会保険も適用しないこと等を示達していたが、院における実際の取扱としては、右通牒にもかかわらず六ケ月を超えて引続き勤務させている臨時職員が少なくなく、昭和三四年一二月には組合との間に六ケ月以上勤務した臨時職員の本採用化、二ケ月以上勤務した臨時職員に対する社会保険の適用等についての労働協約も成立し、臨時職員の身分のまま相当期間正職員同様に就労する者もまれではなく、日傭等を除いては臨時職員に対しても年末手当等を支給するのを例とするに至つた。

(二)  申請人高橋は、昭和三六年九月初頃申請人小野瀬を通じて給食課長木村国太郎に同課職員として採用の希望を申入れ、同課長において、当時炊事員を充員する必要があつたため、申請人高橋が当時法政大学夜間部の学生であることも承知のうえ、これを臨時職員として採用することとしたものであり、採用の際、同課長から申請人高橋に「当分臨時として働いてもらいたい」旨を告げたほか、とくに短期間限りの雇傭である旨を明らかにした事実はない。

(三)  申請人高橋は、一〇月二日以降同課炊事員として就労したが、その勤務内容は宿直、超過勤務等(同課に短期雇傭される学生アルバイトの場合はこれらの勤務に服しないのが例である。)を含め正職員の炊事員と殆んど変りがなく、その勤務成績、態度にもとりたてていうべき点はなかつた。

(四)  庶務課長遠藤巽は、一二月八日木村給食課長から申請人高橋の正職員採用申出について選考の依頼を受けたので、右選考のため、同月二五日同申請人に面接し(その際、遠藤課長は同申請人に大学卒業後も引き続き院に勤務する意思があることを確かめたうえ、正職員に採用された場合の給与額を告げている。)、さらに警務科長堺信市に命じて身許調査を行わせた結果、翌三七年一月下旬頃には同申請人が同大学自治会委員長をしていること、胸部疾患の既往症があること等を知つた。同庶務課長は、その後同申請人について身体検査も実施することなく、二月初旬星野局長に同申請人の本採用不可及び人事管理上早い機会にこれを解雇すべき旨を意見具申してその了承を得、その頃木村給食課長を介して本採用できない旨を同申請人に伝えた。そして、院では、三月末日限り同申請人を解雇することに決め、同月二八日同課長から同申請人に対しその旨を申し渡した。

右いずれの際にも、院側では、同申請人に対し、臨時雇傭期間満了という以上には、本採用できない理由を明らかにしていない。

(五)  申請人高橋は昭和三七年三月一五日組合に加入し、ビラ貼りや第一波ストのピケに参加し、同月一九日の職場大会では星野局長の面前で職制が組合員の行動を写真にとることに対して抗議する旨の発言をしている。

なお、給食課においては、かねて非組合員をも含めた職場会がしばしば開かれ職場の諸要求につき課長等と話し合う例となつており、昭和三六年末頃からは臨時職員、就中申請人高橋の本採用を強く要求していたが、申請人高橋は、組合加入前から右職場会においても職場の要求について活発に発言していた。

(六)  右給食課の職場会では、申請人高橋に対し本採用不可の内示があつた二月上旬以来院側に右措置に対する反対を訴えていたが、同月中及び三月三〇日の同課における各職場交渉の際、木村給食課長は、院が同申請人を本採用しなかつた理由、解雇した一理由はいずれも大学の自治会役員をしていたことにあつたと思われるとの趣旨の発言をしている。

(七)  院は、同年三月昭和三七年度(四月以降)予算の編成に当り、給食課長の要求を斟酌して同課の配置定員を栄養士一名増、炊事員一名減(同課定員正職員二六名、ほか二名)としたが、同課においては申請人高橋の解雇直後、アルバイト学生二名を炊事員として雇入れた。

二、右事実に基く判断

(一)  申請人高橋と団との雇傭関係は、院として、当初から二ケ月ないし六ケ月程度で当然に終了させることを予定していたものではなく、勤務状態や選考の結果次第では、これを正職員に採用して引続き勤務させることも考えられていたものとみられる。

(二)  被申請人は、庶務課長は当初から形だけ選考手続を進めたものと主張するけれども、その本採用できない理由として挙示する大学在学の点は採用当初から院に明らかな事実であり、また勤務継続の意思が明確でないとする点は本人の意思を十分に確かめれば足りることであつて、いずれも不採用の論拠として十分に説得的なものとはいえないし、もし前掲病症の点を懸念したものとすれば、身体検査を行つて現在の健康状態を確かめてからその結論を出すのが自然といえよう。

さらに、被申請人は、申請人高橋の解雇は、業務上の必要に基くものと主張し、その根拠の第一として炊事員一名減員の必要を挙げるけれども、前述のように臨時職員には種々の性質の職員が含まれ、その定員の枠が全く例外を許さないほど厳格なものであつたとは考えられないし、現に同申請人解雇の直後学生アルバイト二名を給食課に雇入れている事実からしても、同申請人を臨時職員のまま当分雇傭継続することもなく当該時期に解雇することが業務上やむを得ない必要によるものとはとうてい考えられない。被申請人がその論拠の第二として挙げる同申請人の不適格性の点が肯定できないことは、一、(三)に認定した事実から明らかであり、その第三の論拠とする団理事長の前掲通牒の臨時職員の雇傭期間制限の定めが院における実際の取扱上空文化され、申請人高橋の雇傭上の取扱についても同様とみられることは、前述のとおりである。

(三)  以上のとおり被申請人が申請人高橋の本採用拒否ないし解雇の理由として主張するところはその根拠が薄弱であり、一に述べた申請人高橋の組合活動とその解雇に至るまでの経緯、さらに第三に述べた団側の反組合的態度、組合活動に対する嫌悪の念等をも総合して考えると、院は同申請人の職場活動と大学の自治会委員長であることとを思い合わせて、同申請人が従来から組合の一拠点であつた給食課に定着してさらに活発な組合活動を続けることをおそれ、雇傭期間の満了に名を藉りいち早く同申請人を院外に排除しようとして本件解雇に及んだものと認めるのが相当であるから、右解雇は、労働組合法七条一号に該当する不当労働行為というべきである。

第五、申請人らに対する本件解雇の効力について

一、申請人関、岸両名に対する本件解雇が就業規則に違反し又は解雇権の濫用といえないことは、叙上の判示によつて明らかであるから、この点に関する申請人らの主張はその理由がなく、右両名と団との間の雇傭関係は、本件解雇により終了したものといわなければならない。

二、その余の申請人ら六名に対する本件解雇は不当労働行為であつて労働関係の公序に反するものと認められるから無効であり、したがつて同申請人らと団との間には引続き雇傭関係が存続し、申請人高橋は昭和三七年四月以降、その余の五名は同年五月以降の賃金として毎月一六日限り別表の金員の支払を受ける権利を有する。

第六、仮処分の必要性について

弁論の全趣旨によれば、申請人外川、同小野瀬、同青木、同隈本、同吉岡、同高橋は、いずれも団から受ける賃金を唯一の生活の資とする労働者であつて、本案判決があるまで団から従業員として扱われず、その賃金の支払を得られないことによつて、その生活に回復し難い損害を蒙るものと認められるから、同申請人らの求める本件仮処分はその必要性がある。

第七、結語

申請人関、同岸の本件申請は、その前提である被保全権利の疎明がないことに帰着し、保証をもつて疎明に代えることも相当でないから、失当としてこれを却下すべく、申請人外川、同小野瀬、同青木、同隈本、同吉岡、同高橋の本件申請は、すべて理由があるから保証を立てさせないでこれを認容すべきものとし、申請費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 橘喬 吉田良正 高山晨)

別表

申請人

賃金月額(円)

採用年月日

勤務場所・職種

組合における地位

二一、八〇〇

昭和三〇年五月(嘱託)

同三三年三月一日(正職員)

検査料・臨床病理検査技術員

執行委員長 三協執行委員長

外川

一九、二〇〇

同三三年六月

皮ふ科外来・看護婦

副執行委員長

小野瀬

一八、二〇〇

同三三年八月二八日(臨時職員)

同年一一月一日(正職員)

電気室・電気技術員

一二、九〇〇

同三四年八月八日(正職員)

医事課・事務員

書記長

青木

一八、七〇〇

同三五年四月(臨時職員)

同年七月(正職員)

病室・看護婦

執行委員 患者対策部長

隈本

二四、四〇〇

同二九年五月八日(臨時職員)

同年一二月(正職員)

給食課・栄養士

執行委員 教宣部長

吉岡

一四、七〇〇

同三三年六月(正職員)

医事課・事務員

執行委員 文化部・共闘部担当

高橋

一七、八九九

同三六年一〇月一日(臨時職員)

給食課・炊事員

執行委員 組織部長

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